という訳で、ウイニングチケット(1990.3.21)の柴田政人調教師がスターターを務められた第1回ジョッキーマスターズ。レースは、レガシーワールド(1989.4.23)の河内洋調教師が1枠1番からスタートして1着を収めるという結果でした。今日4月22日、東京競馬場に来場していたレガシーワールド。河内調教師からの、1日前の誕生日祝いというところでしょうか。
さてさて、JRAのサイトで動画を見たのですけれど、やっぱり、いざレースとなると、皆さんメチャクチャ真剣になられるようで(笑)。レース後のインタビューによると、レース前は「ゆっくり行こう」とお話しされていたそうですが、なんのなんの。
今回の勝ち時計は1分40秒2。そりゃ芝のマイル戦ではスローでしょうけれど、1ハロンあたりにすると「12秒5」平均ですからね(笑)。下級条件のダートマイル戦であればザラの数字ですよ。速い。
レースは、松永幹夫調教師が逃げ、2番手に本田優調教師、3番手に河内洋調教師、4番手に中野栄治調教師、5番手に安田隆行調教師、6番手に岡部幸雄元騎手、7番手に加藤和宏調教師、8番手に的場均調教師、9番手に根本康広調教師という展開。
直線を見ると、皆さん、懸命に追われていましたよ。
そんな中で3番手から、内からスッと抜け出してこられた河内調教師。むぅ、現役時代となんら変わらない、ソツのない騎乗ぶり。お見事でした。やっぱり彼にはアグネスフライト(1997.3.2)、渡辺孝男オーナーの勝負服がよく似合います。誰ですか「アグネスアークに乗ったらエエねん」とか言っているのは(笑)。ゴール後、右手を挙げて、ムチを軽やかに返された時、「おお、やっぱり河内洋」と思いました。レース後の下見所における催し物の動画では「たまたま今日は優勝することができましたけれど……、次も優勝します」と、河内洋独特のファンサービス、コメントをされていましたのも素敵でした。
2着の本田調教師。カワカミプリンセス(2003.6.5)、三石川上牧場の勝負服。今回は、直線、若干遠慮されていたように見受けましたが、気のせいでしょうか。まま、ついこの間まで騎乗されていましたからね(笑)。でも、レース後のインタビューの「勝てなくて残念でした」というのも本音なのでしょう。まま、今日は先輩を立てられたということで。
3着の安田調教師。トウカイテイオー(1988.4.20)、内村正則オーナーの勝負服。今回の参加メンバーの中では、実は1番レースから遠ざかられていたんですよね。でも、13年ぶりとは思えないスマートな騎乗ぶりでした。弟子の川田将雅騎手も「サスガ」と思われたのではないでしょうか。そんな安田調教師、レース前のインタビューでちょっと変わった帽子を召されていて、私が「?」と思ったことなんて、口に出しても言えません(笑)。冗談はさておき、1991年5月26日。トウカイテイオーで、私の14回目の誕生日に日本ダービー(GI。現JpnI)を制されたのでした。あのダービーは、「楽勝」ということでは20世紀の日本ダービーの中では最右翼に入るものかも知れません。必見。
4着の加藤調教師。シャダイアイバー(1979.2.23)、吉田善哉オーナーの勝負服。レース後のインタビューで「(東京競馬場と勝負服で)脳裏に浮かびます。今でも、あのリーゼングロスと争ったレースは思い出します」と、オールドファンには泣けるコメントを出されていました。JRAのサイトではシャダイアイバーのオークスではなく、シリウスシンボリ(1982.3.26)のダービーの動画が配信されていました。1985年5月26日。私の8回目の誕生日にダービーを制されたのでした(もういいって)。
5着の岡部元騎手。シンボリルドルフ(1981.3.13)、シンボリ牧場の勝負服。今回、事前準備を1番なされていたのは、彼なのでしょう。58歳。それでも、やっぱり岡部幸雄は、岡部幸雄でした。凄いなぁ。レースの動画を見たら、1番綺麗なスタートを決められていましたよ。まずはスタートを決めるということ。多くの騎手がいまでも見習うべきところなのでしょう。また、下見所で周回されていた時、岡部さんに対して北村騎手が黒い手袋を渡されていたところが、印象的でした。今なお続く、騎手としての師弟関係を見ました。レースの直線では、おそらく、ムチを右手、左手と持ち替えられていたと思います。手前を変えるごとに、まっすぐ走らせようとされていたのでしょう。いや、やっぱり岡部幸雄は岡部幸雄でした。レース後のインタビューで「疲れた、死にそうだ」「競馬の大変さがよく分かったよ」「1回だけじゃなく、何回か乗りてぇな、って」という本音も素敵でした。
6着の的場調教師。エリモエクセル(1995.5.18)、山本慎一オーナーの勝負服。あぁ、もう9年前ですか。栗毛の小さな馬と一緒に、直線軽やかに抜け出してこられたのは。レース前、下見所ではにこやかにファンに手を振られていた的場調教師。レース前のインタビューの折は、結構険しい顔をされていたのですけれど。また、レース後のインタビューで「4コーナーでね、不利を受けちゃったんで」とおっしゃっていたのが、メチャクチャ面白かった(笑)。4角入り口で立ち上がられた時、「あ、根本、外からまくって、切れ込んでカットしたな(笑)」と思っていたのですが、やっぱりご本人も悔しかった様子でした。直線、大外からの追いっぷり、左ムチはなかなかに迫力がありました。サスガにヒットマン。的場均も、的場均のままでした。
7着の松永調教師。イソノルーブル(1988.3.13)、磯野俊雄オーナーの勝負服。逃げ戦法に出られたのは、ファンが喜ぶ騎乗を見せてくださいました。サスガにミッキー。レース後のインタビューによると、ちゃんと「作戦」を立てられていたそうで。やっぱりレースに臨むということは、そういうことなのですね。勝負の世界に生きる人々は、たとえそれがエキシビジョンマッチでも、常に勝つことを考えていらっしゃる。あの端正なマスクの下に、燃える闘志をもっていらっしゃる。それと、レース後のインタビューでは「緊張しました」と素直に答えていらっしゃいました。そう、やっぱり緊張しなければ、ウソですよ。勝負とはそういうものです。
8着の中野調教師。アイネスフウジン(1987.4.10)、小林正明オーナーの勝負服。中野調教師の減量に苦しまれていたエピソードと共に、59kgの負担重量に思わず「致し方なし」と思いました。レースはソツ無く回られようとしていたようにお見受けしました。でも、アイネスの勝負服と共にレースを挑まれたことに、ファンはずいぶん喜ばれていたようです。4角でチラッと右側を振り向かれた時、往年の中野騎手を思われた方もいらっしゃるのではないでしょうか。
9着の根本調教師。メリーナイス(1984.3.22)、浦房子オーナーの勝負服。下見所ではやはりにこやかにファンに手を振っていらっしゃった根本調教師。けれど、動画で確認できた限りでは、ただひとり、待機所から黒いゴーグルを着用されていました。勝負に行く男の様を見せられたかったのかも知れません。レースの動画では直線の様子が見られなかったのですが、レース後のインタビューによると、「風車ムチってやって落ちるかと思いましたけれど、とりあえず後ろだけどやっときましたよ」と、伝説のヨーロピアンアクションを見せられていたようです。ファンサービス、しっかりとなさってくださいました。
いずれにせよ、思ったことは、「皆さん、まだまだ若いなあ」ということでした。聞いたところによると、レース後、田中勝春騎手が「みんな、僕より上手いんじゃないか」と、おっしゃっていたそうです。やっぱり極められた方々は、違うんでしょうね。言うならば、老いてますます盛ん。皆さん、本当にお疲れ様でした。
という訳で、結局、河内洋、本田優の1着2着。本田優騎手、現役最後の騎乗となった「ニシノデュー(2001.3.21)ライン」の1着、2着という、第1回ジョッキーマスターズでした。