自分と同じ年に生まれた馬を辿る(其の五)-リンドタイヨー(1977.3.14)-。

今年2013年は、私が年男ということもあり、自分と同じ年に生まれた馬を誕生日順に辿ろうという企画でございます。その第5回はリンドタイヨー。

リンドタイヨー 牡 鹿毛 1977.3.14生~1983.7.22没 静内・山口牧場生産 馬主・(株)デルマークラブ 美浦・見上恒芳厩舎

リンドタイヨー(1977.3.14)の4代血統表
テスコボーイ
黒鹿毛 1963
種付け時活性値:1.25
Princely Gift
鹿毛 1951
Nasrullah
鹿毛 1940.3.2
Nearco 1935.1.24
Mumtaz Begum 1932
Blue Gem
鹿毛 1943
Blue Peter 1936
Sparkle 1935
Suncourt
黒鹿毛 1952
Hyperion
栗毛 1930.4.18
Gainsborough 1915
Selene 1919
Inquisition
黒鹿毛 1936
Dastur 1929
Jury 1929
ガレイ
栗毛 1964.4.13
仔受胎時活性値:1.00
オーロイ
鹿毛 1957
種付け時活性値:1.50
Aureole
栗毛 1950
Hyperion 1930
Angelola 1945
Millet
黒鹿毛 1949
Mieuxce 1933
Kannabis 1941
クリピン
栗毛 1957.3.20
仔受胎時活性値:1.50
ミナミホマレ
鹿毛 1939.3.31
種付け時活性値:0.25
プリメロ 1931
フロリスト 1919.4.27
崇敏
栗毛 1941.2.20
仔受胎時活性値:1.75
★月友
栗毛 1932.3.13
種付け時活性値:0.00
玄麗
1932.4.22
仔受胎時活性値:2.00(0.00)

<5代血統表内のクロス:Hyperion3×4、Blandford5×5、Pharos=Fairway5×5(父方)>

リンドタイヨー(1977.3.14)の中島理論的総括
母父 祖母父 曾祖母父
テスコボーイ
(Princely Gift系)
オーロイ
(Hyperion系)
ミナミホマレ
(Blandford系)
月友
(Man o’ War系)
形相の遺伝 料の遺伝 牝系 母の何番仔?
オーロイ
(ガレイ)
5.50
(No.2-n ソートウエーブ系)
7番仔?
(3連産目?)

正直に申し上げますが、私、この「自分と同じ年に生まれた馬を辿る」記事群は、割合に早くに構想がありまして、1年以上前からドラフトしていた分もあったりする訳です。しかし、2歳牡馬王者のことをすっかり失念しておりました。申し訳ない、リンドタイヨー。

リンドタイヨーの満2歳時の戦績を辿ると、

  1. 1979.6.16 新馬戦 札幌ダート1000m 3着
  2. 1979.6.30 新馬戦 札幌ダート1000m 2着
  3. 1979.7.14 未勝利戦 札幌ダート1000m 1着
  4. 1979.7.29 北海道3歳S(現札幌2歳S、GIII) 札幌ダート1200m 3着
  5. 1979.8.24 すずらん賞 函館芝1200m 2着
  6. 1979.9.16 函館3歳S(現函館2歳S、GIII) 函館芝1200m 2着
  7. 1979.10.21 京成杯3歳S(現京王杯2歳S、GII) 中山芝1200m 2着
  8. 1979.11.18 府中3歳S(現東京スポーツ杯2歳S、GIII) 東京芝1600m 2着
  9. 1979.12.9 朝日杯3歳S(現朝日杯FS、GI) 中山芝1600m 1着

札幌、函館、中山、東京、そして中山。渡り歩いてならぬ、渡り走って、9戦目。 抜群の安定感を期待されたのか2番人気で挑んだ朝日杯3歳S。わずかに「クビ」だけサーペンプリンス(1977.4.17)を退けて掴んだ勝利が、そのまま最優秀フューチュリティにつながったのでした。

明けて満3歳。京成杯(現GIII)4着の後に挑んだ東京4歳S(現共同通信杯、GIII)を快勝したまでは、輝きを放っていたリンドタイヨー。

けれど、日輪の力は、3歳秋以降、思うような煌めきを見せませんでした。

心と身体の微妙な関係。人も馬も、生命ある生き物は何も変わりません。

ただ、それでも、精一杯に頑張って、満2歳時に世代王者に登り詰めたリンドタイヨー。

辿る戦績があり、思い馳せられる血統が残っているのですから、その蹄跡は、ただただ、立派だったのです。

  

では、以上オオハシでした。これから走る馬、人すべてが無事でありますように。

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