ダテに逃げ切ってはいない。

大好きな「名牝達の後宮SAGA」さんのエントリに「皐月賞を逃げ切るということ」と題して、近20年ほどの皐月賞(GI。現JpnI)において「4角2番手以内で3着までに残った馬(複数いた場合は先着した馬)」が列挙されていました。

詳しくはエントリをご参照頂きたいのですが、いずれもが名だたる成績を残しています。

「ヴィクトリーが逃げ切れたのは、中山の小回りだったから」なんて言っていたら、日本ダービー(JpnI)でも痛い目に遭いそうです。

なんだ言いながら、ダービーという祭典に向けての一番のトライアルは、皐月賞であることに違いないのですから。

ダテや酔狂で皐月賞馬にはなれない。あの中山の急坂で、2着馬に猛追を受け、いったんは交わされながらも差し返した底力。ヴィクトリー(2004.4.3)、思えば伯父フサイチコンコルド(1993.2.11)が日本ダービーを制し、そして母グレースアドマイヤ(1994.2.20)が府中牝馬S(GIII)でメジロドーベル(1994.5.6)を苦しめた東京の舞台。

もしかしたら、この15年間、中央のジーワンレースではなかなか日の目を見なかった田中勝春騎手が「ダービージョッキー」になる瞬間を見られるかもしれません。それでなくとも、シンガポール航空国際カップ(星GI)をシャドウゲイト(2003.3.23)で制して波に乗っていらっしゃいますしね。

人は、ふとしたきっかけで、ふっきれるものです。カッチーにとっては、皐月賞の勝利が、更なるジーワン勝利への呼び水になったのかも知れません。その鞍下にいた馬がヴィクトリーというのも象徴的。

果たして、どうなるのか。その答えは、2007年5月27日、府中の杜、芝2400mのゴールの向こうに。

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