僕が初めて好きになった馬

「あなたが初めて好きになった馬は、なんという名前の馬ですか?」
 誰かにそう問われたならば、あなたはどう答えるだろう? 競馬を愛する人は、愛した月日の長さにかかわらず、誰もが、初めて好きになった馬を、心に思い続けているはず。
 僕も、まだ二十九歳とはいえ、干支がひと回りする以上の時間をかけて、競馬を見て来た。そんな四千日を越える月日を経て、いまも僕の心の中で、きらめいたままの馬がいる。
 僕が初めて好きになった馬の名前は、
「マイシンザン」
 と言った。

 マイシンザンは一九九〇年三月七日に生まれたサラブレッドで、鹿毛の牡馬。競走馬時代は中央競馬で走り十二戦四勝。その主な勝ち鞍に、NHK杯、朝日チャレンジカップと重賞二勝がある活躍馬だった。
 彼の五百キロを越える雄大な馬体と、そのスケールの大きな走りっぷりは、見た者すべてが惚れ惚れとするものだった。気性の激しさから来るイレ込みで、能力を出し切れなかったこともあった。けれど、その危うさも魅力のひとつだった。また、祖父シンザン、父ミホシンザンから続く「シンザンのサイアーラインの三代目」という血統背景からも、大きな期待を寄せられたのだった。
 彼が競走馬だったころ、競馬を見始めたばかりの僕も、ほかの多くのファンと同じように、彼の激しいレースぶり、血統の持つドラマに魅せられていた。素直に、ただ単純に、好きなった馬だった。
 恥ずかしい話を告白すると、彼が朝日チャレンジカップを勝った時、テレビで観戦していた僕は、そばに弟と妹がいたにもかかわらず、その目をはばからず、号泣してしまった。競馬を見て大泣きしたのは、彼の先にはトウカイテイオーが制した有馬記念があったものの、彼の後には、まだない。

 競走馬を引退した後のマイシンザンは、シンザンのサイアーラインを継承するべく、種牡馬として供用された。しかし、時代は新しい血を求めていた。彼は、都合三年間で、二十頭の産駒を送り込んだに過ぎなかった。
 種牡馬となって以後の彼の蹄跡をたどると、新冠のCBスタッドから、後に門別の名馬のふるさとステーションへ移動。そして、様々な事情を経て、本多列央さんと敏江さんというご夫妻が引き取り手となり、浦河の育成牧場に身を寄せた後、現在は本州の埼玉県に住処を移しているということを知った。
 合わせて、中央競馬でダート重賞三勝を挙げたワイルドブラスターらと共に、乗用馬としての訓練を積むという、新たな馬生を歩み始めていることも知った。

 今年の二月、六年間連れ添った相方との共同生活に終わりを告げた僕は、身軽になっていた。マイシンザンが同じ本州にいる。僕が住む大阪府から埼玉県までは、大した距離ではない。会いに行かない訳には、いかなかった。幸い、本多ご夫妻とはすぐに連絡を取ることができた。情報の進んだ社会のありがたさを、このときほど思ったことは無かった。
「暖かくなったら、ぜひいらしてくださいね」
 敏江さんのひと言が、僕の心を揺らした。「いてもたっても、いられなくなる」というのは、こういう状態なのだろう。心が逸った。時間は、僕の心と併せ馬をしたかのように、足早に過ぎて行ってくれた。待ち兼ねた、春が来た。

 二〇〇六年五月二日。僕は埼玉県の、ある梅の名所の近くまで、電車を乗り継ぎ訪れていた。周りを囲む山々の青い稜線がすぐ間近に見える、のどかな田舎だった。僕が訪れたその日は、小雨がちらついていた。大阪から雨を連れて来たようで、悔しく思った。
 駅でしばらく待っていると、四つの車輪が泥だらけのライトバンがやって来た。見ると、荷台に牧草が山積みになっていた。その車を運転していた人こそ、本多敏江さんだった。
「いま、エサを仕入れに行った帰りなんで。車が汚れててゴメンね」
 快活に笑った敏江さんは、赤いベストに青いジーンズ、そして黒い長靴といういでたちだった。敏江さんの装いと、乗り込んだ車中の草の匂いが、馬と共に過ごす人の生活を、僕に垣間見せてくれていた。
 僕を乗せた敏江さんの車は、山間の舗装道路を走り、次いで砂利の坂路を駆け上がり、最後は小高い山の中腹に立てられたコテージと、それに連なる厩舎の前に止まった。そこが、本多ご夫妻のお住まいだった。
 車を降り、厩舎を見ると、左右に四つずつ、八つに分けられた馬房に、七頭の馬がいた。
「憧れのマイシンザン君は、彼ですよ」
 敏江さんが指し示してくださった。入口から向かって左側、手前から二番目の馬房に、鹿毛馬がいた。会った瞬間、僕の第一声は
「うわぁ」
 と、叫ぶしかなかった。競走馬時代から変わらぬフサフサの黒い前髪とたてがみ、大きな体に大きな顔、そして大きな蹄。まぎれもなく、マイシンザンだった。
「マイシンザンと会ったら、泣いてしまうかもしれない」
 駅からの車中で思い、敏江さんにお話ししていた。けれど、涙は出てこなかった。出会えて嬉しい、嬉しい、嬉しい。彼の前では、その気持ちだけしか、湧いて来なかった。
 ひとりでニコニコしている僕を見て、
「何か食い物をくれーい」
 とばかりに、彼は顔を僕に近づけて来た。
「触っても大丈夫ですよ」
 敏江さんがそうおっしゃったので、右手で彼の鼻面を撫でてみた。短い毛並みの柔らかい感触が、僕の指の腹に心地よく伝わった。彼も、自分では触れることができない部分を撫でられて、気持ち良さそうだった。
 鼻面を撫でながら彼を見ていると、ひとつだけ、昔と変わっているところに気がついた。それは、目だった。「気性難の代名詞」のように思われていた競走馬時代の彼は、目を血走らせていた。けれど、いまの彼は、優しい目をしていた。僕は、このとき初めて、十年以上の月日の流れを感じた。
  
 実は、この五月二日、僕はマイシンザンの背中に跨らせて貰った。本多ご夫妻から、
「マイシンザンに跨ってみたかったら、汚れてもいい服装でいらしてください」
 と、声を掛けて頂いていたのだ。もう、二つ返事だった。僕は、まだ馬に跨ったことが無かった。初めて好きになった馬が、初めて騎乗した馬にもなったのだった。
 どうしようもなく、幸せな体験だった。
 思ったよりもアブミの位置が高く、最初は僕の左足が届かなかったこと。やっとの思いで彼の背中に上がれば、その黒いたてがみの中に、一本だけ白髪があるのを発見したこと。両足で彼の腹を蹴り、進めの合図を送ったものの、蹴りが弱く、最初は動いてくれなかったこと。両手で手綱を引き、止まれの合図を送ると、確かに止まってくれたこと。止まってくれたお礼に、首スジをパシパシと叩くと、「フンフン」と首を振って応えてくれたこと。そして、競走馬時代は苦手とした雨降りの中、黙って、僕を乗せ続けてくれたこと。
「ありがとう、ありがとう」
 彼にお礼を言うことしか、できなかった。

 僕は、本当は五月二日だけ、マイシンザンに会いに行く予定だった。けれど一日だけで帰るのは、惜しかった。大阪から雨を連れて来たようで、悔しかったこともある。本多ご夫妻に無理を言って、五月四日に、もう一度会いに行った。その日は、快晴だった。
 僕が改めて訪れた時、マイシンザンは砂地の馬場に放たれていた。本多ご夫妻が彼の馬房の掃除をなさっていたのだった。
 砂浴びを始めた彼の姿を、馬場の外から眺めながら、僕は馬の幸せについて思った。確かに、優秀な競走成績を残した後、馬生の最期まで、子孫繁栄の為に生活を送ることも、幸せではあるのだろう。けれど、いまの彼の姿を見て、乗用馬として生きるいまの彼の生活が、不幸せであるとはとても思えなかった。
 ひとしきり作業を終えられた本多ご夫妻も、馬場で寝転ぶ彼を眺められていた。
「アイツ、大きい体をしていても、実は怖がりなところがあるんですよ。ちょっとした物音に驚いたりしてね」
 列央さんが、教えてくださった。見れば敏江さんと共に、優しい目を、彼に向けられていた。愛しいものを見る、穏やかな目だった。
 ふと馬房に目をやると、ワイルドブラスターが、マイシンザンの姿を見つめていた。
「マイシンザンとワイルドブラスターは、いつも隣どうしの馬房なんです。離すと、うるさくって。メチャクチャ、仲が良いんです」
 敏江さんが、教えてくださった。彼らは、CBスタッドから現在の住処まで、ずっと寝食を共にして来た朋友だった。馬どうしにしか、分からないこともあるのだろう。ワイルドブラスターの眼差しが、いじらしかった。
 僕が初めて好きになった馬は、人に愛され、馬に愛され、生きていてくれた。それが、馬の幸せという問いに対する、答えだった。

 砂浴びを止めて、周囲に連なる山の峰を眺め始めたマイシンザン。遠くを見る彼の黒い目は、深く澄み、キラキラと輝いていた。
「俺、いま、幸せに生きてるから」
 物言わぬ彼が、五月の陽射しに乗せて伝えてくれた気がしたので、僕は笑顔で返した。
「うん。もう、充分に分かったよ。乗せてくれて、ありがとう。また、会いに来るね」(了)

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ここから追記。2006年7月6日から2006年7月13日、大橋隆善、記す。この文章を、EQUINE-HOLICの本多ご夫妻、EQUINE-HOLICで過ごすマイシンザン(1990.3.7)とワイルドブラスター(1992.4.13)、そして書き切れなかったEQUINE-HOLICの全ての生き物たちに捧げます。

さらに追記。なお、この文章で優駿エッセイ賞に応募したのは、ここだけの秘密です(笑)。いや、すでに今年度の受賞作は優駿11月号に記されていますしね。いずれにせよ、ここでアップしているということは、結果は敢え無く落選だったということです(わはは)。

いま、彼が幸せに生きていること。ただただ、それだけを伝えたかったオオハシでした。ではでは♪

おまけ。↓に映像を4連発しておきます。

コメント

  1. masa より:

    どうもです。
    ただただマイシンザンへの愛しさが伝わってきて、素敵な文ですね。
    私が初めて好きになったのはポジーです。
    好き過ぎて、未だに上手く書けません。

  2. ノリ より:

    こんばんわ。
    オオハシさんのマイシンザン好きぶりがとっても伝わってきます。動画もイイものが撮れてますね~、マイシンザンのきれいな目が印象的でした。
    実は僕もマイシンザン大好きなんですよ。
    好きな馬を上げるとしたら、ビワハヤヒデ・マイシンザン・メジロマックイーンって感じです。馬券的には朝日CCと毎日王冠は本命、秋天に出ても本命にしたかったなぁ、、。
    余談ですが、初めて買った馬券がライスシャワーの菊花賞!(高校時^^;大損こいたのがトウカイテイオーの有馬記念!!感動できんかった・・OTZ
    世代が近いっすね、、

  3. オオハシ より:

    ◎masa様
    おお、いつもお世話になっております♪

    >ポジー
    荻野厩舎のヤマニンスキー産駒、栗毛の牝馬。マイシンザンと同じ1990年生まれ世代。3月10日生まれということで、ビワハヤヒデと同じ日の生まれ。北沢伸也と言えば、ポジー。ポジーと言えば、1995年の天皇賞・秋5着。KBS京都の競馬ラジオ「JRAターフジョッキー」という番組で、レギュラー解説だった日刊スポーツの蔵内哲爾さんが「穴はポジー」とおっしゃっていたのを思い出します。中島理論使いとしては、カツラノハイセイコの鮫川牧場の生産馬というのもポイントです。

    ポジー、私も大好きでした♪

    ◎ノリ様
    お世話になっております♪

    >ビワハヤヒデ・マイシンザン・メジロマックイーン
    私、めちゃストライクゾーンです(笑)。いちばん好きな芦毛はビワハヤヒデ、古馬のレースで最も強いと思ったのはメジロマックイーンが現年齢表記6歳の京都大賞典という私です。

    >ライスシャワーの菊花賞
    私が生まれて初めて意識をして見たGIレース、それが1992年11月8日に行われたライスシャワーの菊花賞でした。淀に出向いた時は必ず石碑を拝むのは、なにを隠そう私です。

    なお、世代は私がちょいと若いですね。ライスシャワーが菊花賞を勝った時、私はJunior highschool studentでした。

    ご両名、コメント誠にありがとうございました。本当に嬉しく思いました。

  4. nozoweb より:

    オオハシさんこんばんは。
    ほんとにマイシンザン好きなんですね。オオハシさんのほのぼのとした文章がとても心地よいですね。毎週ICレコーダーを持ちながら絶叫している時とは別人のようです(笑)。
    私が競馬を始めたのもまさにマイシンザンがクラシックに挑戦していた時。とても懐かしく思い出されます。
    「なんか馬の名前って不思議やナ。」と思ってました。もちろんシンザンも知らない私は、マイシンザン??って感じです。他にはガレオンやらシクレノンシェリフ、ドージマムテキにビワハヤヒデですもん。もう不思議ワールドですよね。
    でもね、あのNHK杯は惚れ惚れしましたよ。強かった。
    当然、ダービーの馬券は外れてましたけどね(笑)。
    また遊びに伺います。

  5. オオハシ より:

    ◎nozoweb様
    おお、お世話になっております♪

    >毎週ICレコーダーを持ちながら絶叫している時とは別人のようです(笑)。
    自分でも「二重人格!?」と思います。そんな私は双子座です(笑)。

    >「なんか馬の名前って不思議やナ。」
    おお、懐かしいストライクゾーンの馬たちばかり(笑)。

    ガレオン。調べたところによると船の名前みたいです。でも、普通は「?」ですね。シャダイアイバーの仔、3歳秋以降を見たかった。
    ビワハヤヒデ。琵琶湖のビワに、速く、秀でるですものね。でも良い名前。
    ドージマムテキ。堂山無敵。朝日CCの5分前の京王杯AH、1分32秒7、見事でした。

    シクレノンシェリフ。藤立オーナーの「シクレノン」という冠名の由来を月刊「優駿」の記事で知ったのですが、シクレノンというのは、「シクラメンのかほり」と「ジョン・レノン」を足して2で割った造語だそうです。シクレノンの冠名を最初に付けた馬が、ミスターシクレノンとのことでした。

    辺境なブログですが、よろしければ、また遊びに来て頂けば幸いです。ではでは♪

  6. 【今年の有馬記念は絶対に取れる】2006

    今年2006も《有馬記念》の開催が近づいてきた。参考情報を随時発信。

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