春を迎えると、日々、馬の誕生日を思ってしまうオオハシでございます。という訳で、その日に生まれた馬を辿る企画を、今年2013年も毎週水曜日にお届けしたいと思いました。「自分と同じ年に生まれた馬を辿る」記事もありますが、こちらも併せてお届け致します。その第9回は「名優の兄」を。
メジロデュレン 牡 鹿毛 1983.5.1生~2009.10.15没 浦河・吉田堅氏生産 馬主・メジロ商事(株) 栗東・池江泰郎厩舎
フィディオン 鹿毛 1972.5.26 種付け時活性値:0.50 |
Djakao 鹿毛 1966.3.16 |
Tanerko 黒鹿毛 1953.5.3 |
Tantieme 1947 |
La Divine 1943 | |||
Diagonale 栗毛 1959.4.6 |
Ribot 1952.2.27 | ||
Barley Corn 1950 | |||
Thessalie 鹿毛 1963.4.26 |
Sicambre 黒鹿毛 1948 |
Prince Bio 1941 | |
Sif 1936 | |||
La Tournelle 鹿毛 1954 |
▲Tourment 1944 | ||
Vatellino 1942 | |||
メジロオーロラ 栗毛 1978.3.8 仔受胎時活性値:1.00 |
リマンド 栗毛 1965.2.16 種付け時活性値:1.00 |
Alcide 鹿毛 1955 |
▲Alycidon 1945.3.15 |
Chenille 1940 | |||
Admonish 芦毛 1958 |
Palestine 1947 | ||
Warning 1950 | |||
メジロアイリス 黒鹿毛 1964.4.8 仔受胎時活性値:1.25 |
ヒンドスタン 黒鹿毛 1946 種付け時活性値:0.25 |
▲Bois Roussel 1935 | |
Sonibai 1939 | |||
アサマユリ 栗毛 1959.3.17 仔受胎時活性値:1.00 |
★ボストニアン 栗毛 1950.5.13 種付け時活性値:0.00 |
||
トモエ 栗毛 1951.5.8 仔受胎時活性値:1.75 |
<5代血統表内のクロス:なし>
父 | 母父 | 祖母父 | 曾祖母父 |
---|---|---|---|
フィディオン (Teddy系) |
リマンド (Blandford系) |
ヒンドスタン (Bois Roussel系) |
★ボストニアン (The Tetrarch系) |
形相の遺伝 | 料の遺伝 | 牝系 | 母の何番仔? |
リマンド | 5.00 |
半弟メジロマックイーン (No.7-c アストニシメント系) |
初仔 |
*
着 順 |
馬 番 |
馬名 | 性齢 |
斤 量 |
騎手 |
走破 時計 |
着差 |
上り 4F |
馬体重 [前走比] |
調教師 |
人 気 |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
1 | 13 | メジロデュレン | 牡3 | 57 | 村本善之 | 3:09.2 | 48.9 |
444 [+6] |
池江泰郎 | 6 | |
2 | 14 | ダイナガリバー | 牡3 | 57 | 増沢末夫 | 3:09.3 | 1/2 | 49.0 |
484 [0] |
松山吉三郎 | 5 |
3 | 11 | ラグビーボール | 牡3 | 57 | 河内洋 | 3:09.5 | 1.1/4 | 48.7 |
454 [+8] |
田中良平 | 1 |
4 | 4 | エイシンウオリア | 牡3 | 57 | 南井克巳 | 3:09.8 | 1.3/4 | 49.2 |
476 [-2] |
宇田明彦 | 8 |
5 | 7 | タケノコマヨシ | 牡3 | 57 | 伊藤清章 | 3:10.0 | 1.1/4 | 48.9 |
484 [-2] |
伊藤修司 | 2 |
強気の格上挑戦だった夏の函館の巴賞(OP)でウインザーノット(1980.3.3)から0秒3差の3着と踏ん張った後、900万下の樽前山特別、1400万下の嵐山特別と連勝で挑んだGI初舞台が第47回菊花賞。メジロデュレンは別路線からのチャレンジャーとして同期生たちとの戦いに挑みました。道中は先行5番手辺りの位置で馬群の外々を回っていたメジロデュレン、出走21頭中唯1頭の淀3000mの経験馬である強みなのか、余裕すら感じられる走りぶり。そして4角から直線では馬場中央を先に抜け出しに掛かり、内のダイナガリバー(1983.3.23)と外のラグビーボール(1983.3.10)の追撃を封じて、見事に菊花賞馬の栄冠を蹄中に収めたのでした。
このメジロデュレンの菊花賞が、池江泰郎調教師の初めてのGI勝利であり、鞍上の村本善之騎手もクラシック初制覇。そしてまた、メジロ勢にとっても、初めての牡馬クラシック制覇と相成りました。メジロ勢は、この1986年にメジロラモーヌ(1983.4.9)で牝馬3冠も果たされており、まさに絶頂期に入り始めた頃でした。
記録を辿れば、巴賞では426kg、樽前山特別では434kg、嵐山特別では438kg、そして菊花賞では444kgと、走る度にプラス体重だったメジロデュレン。満3歳夏から秋にかけて、馬に実が入っていった、というところもあったのでしょう。
*
着 順 |
馬 番 |
馬名 | 性齢 |
斤 量 |
騎手 |
走破 時計 |
着差 |
上り 3F |
馬体重 [前走比] |
調教師 |
人 気 |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
1 | 7 | メジロデュレン | 牡4 | 57 | 村本善之 | 2:33.9 | 35.4 |
460 [-14] |
池江泰郎 | 10 | |
2 | 8 | ユーワジェームス | 牡3 | 55 | 安田富男 | 2:34.0 | 1/2 | 35.7 |
468 [+6] |
新関力 | 7 |
3 | 1 | ハシケンエルド | 牡4 | 57 | 飯田明弘 | 2:34.0 | ハナ | 35.7 |
528 [-2] |
中尾正 | 14 |
4 | 3 | レジェンドテイオー | 牡4 | 57 | 郷原洋行 | 2:34.2 | 1.1/2 | 36.2 |
524 [-2] |
田村駿仁 | 6 |
5 | 2 | ミスターブランディ | 牡5 | 56 | 津留千彰 | 2:34.2 | ハナ | 36.1 |
480 [+4] |
大和田稔 | 13 |
満4歳初戦の日経新春杯(GII)で3着となった後、骨折で休養となったメジロデュレン。秋に復帰し、カシオペアS(OP)5着、鳴尾記念(当時GII、現GIII)10着と2走叩いて挑んだのが、暮れの大一番、第32回有馬記念でした。
オールドファンの記憶に残っているであろう1987年の有馬記念。レースは、スタート直後に当年の日本ダービー(GI)馬メリーナイス(1984.3.22)が落馬、4角で当年の皐月賞(GI)と菊花賞を制したサクラスターオー(1984.5.2)が競走中止という、2つの波乱が起きました。そして、波乱に波乱を重ねるように、直線では人気薄馬ばかりが上位争いを演じていました。そんな中、道中は後方で構えていたメジロデュレンが、馬場の外側から1頭だけ違う脚色で伸びると、ユーワジェームス(1984.3.30)とハシケンエルド(1983.3.7)をまとめて交わしきり、決勝点に真っ先に飛び込んだのでした。
衝撃の結果ばかりに目が行きがちですが、メジロデュレンのレースぶりは見事なものでした。その鋭脚と、鞍上の村本騎手の手綱さばきとが重なって、メジロ勢初の有馬記念制覇につながりました。
記録を辿れば、日経新春杯では456kg、カシオペアSでは462kg、鳴尾記念では474kgと、やはり馬体が大きくなり続けていたメジロデュレン。けれど、サスガに鳴尾記念は太め残りだったのか、有馬記念は14kg減の460kgで挑んで勝利を収め、GI出走機会2戦2勝という勝負強さを見せたのでした。
*
弟が絶えず上位人気に推されていたのとは対照的に、兄は高額賞金の掛かるGIレースで人気薄ながら大駆けを見せるタイプという感もありました。
とはいえ、真に実力がなければ、GI2勝は果たせません。気質は異なれど、名優の兄は、やはり名優だったのです。
弟同様にメジロイズムの結晶であった、メジロデュレン。彼の血統表を開けば、その威信を垣間見られます。そしてまた、「これでもか」というステイヤー形質に、「昭和は遠くになりにけり」を思わざるを得ません。
ともあれ、賢兄賢弟の組み合わせはなかなかに難しいはずなのに、それを遂げたメジロデュレンとメジロマックイーン(1987.4.3)、やはり偉大な兄弟でした。
では、以上オオハシでした。これから走る馬、人すべてが無事でありますように。