春を迎えると、日々、馬の誕生日を思ってしまうオオハシでございます。という訳で、その日に生まれた馬を辿る企画を、今年は毎週水曜日にお届けしたいと思います。その7回目はJRAグレード制導入後初の外国産馬によるGI制覇を遂げた馬を。
パーシャンボーイ 牡 黒鹿毛 1982.4.18生~1994.4.2没 英国・ダンチャーチロッジスタッド生産 馬主・伊達秀和氏 美浦・高松邦男厩舎
Persian Bold 黒鹿毛 1975 種付け時活性値:1.50 |
Bold Lad 鹿毛 1964 |
Bold Ruler 黒鹿毛 1954.4.6 |
Nasrullah 1940.3.2 |
Miss Disco 1944 | |||
Barn Pride 栗毛 1957 |
Democratic 1952 | ||
Fair Alycia 1952 | |||
Relkarunner 黒鹿毛 1968 |
Relko 鹿毛 1960 |
Tanerko 1953.5.3 | |
Relance 1952 | |||
Running Blue 栗毛 1957 |
Blue Peter 1936 | ||
Run Honey 1946 | |||
Cryptomeria 栗毛 1974 仔受胎時活性値:1.75 |
Crepello 栗毛 1954 種付け時活性値:0.75 |
Donatello 栗毛 1934 |
Blenheim 1927 |
Delleana 1925 | |||
Crepuscule 栗毛 1948 |
Mieuxce 1933 | ||
Red Sunset 1941 | |||
Miss Glen 栗毛 1964 仔受胎時活性値:0.25 |
Abernant 芦毛 1946 種付け時活性値:0.25 |
Owen Tudor 1938 | |
Rustom Mahal 1934 | |||
Couloir 鹿毛 1959 仔受胎時活性値:1.00 |
★Court Martial 栗毛 1942 種付け時活性値:0.00 |
||
Golden Gulf 鹿毛 1949 仔受胎時活性値:0.25 |
<5代血統表内のクロス:Hyperion5×5>
父 | 母父 | 祖母父 | 曾祖母父 |
---|---|---|---|
Persian Bold (Bold Ruler系) |
Crepello (Blandford系) |
Abernant (Hyperion系) |
★Court Martial (Fairway系) |
形相の遺伝 | 料の遺伝 | 牝系 | 母の何番仔? |
Persian Bold (Relko) |
3.25 |
(No.14-b) |
2番仔以降の仔 |
*
着 順 |
馬 番 |
馬名 | 性齢 |
斤 量 |
騎手 |
走破 時計 |
着差 |
上り 4F |
馬体重 [前走比] |
調教師 |
人 気 |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
1 | 2 | パーシャンボーイ | 牡4 | 56 | 柴田政人 | 2:14.4 | 47.7 |
492 [-8] |
高松邦男 | 3 | |
2 | 5 | メジロトーマス | 牡5 | 57 | 丸山勝秀 | 2:14.6 | 1.1/2 | 48.3 |
448 [0] |
池江泰郎 | 7 |
3 | 17 | シングルロマン | 牡4 | 56 | 松本達也 | 2:14.7 | 1/2 | 48.2 |
484 [-6] |
中尾正 | 4 |
4 | 13 | スズカコバン | 牡6 | 56 | 村本善之 | 2:14.7 | ハナ | 47.6 |
518 [-2] |
小林稔 | 5 |
5 | 3 | スダホーク | 牡4 | 56 | 田原成貴 | 2:14.7 | ハナ | 47.3 |
464 [+2] |
古山良司 | 2 |
1番人気は「岡部マジック」により天皇賞・春(GI)を制した中距離得意のクシロキング(1982.5.18)、2番人気はその天皇賞・春を1番人気7着で敗れてしまったスダホーク(1982.4.6)、そして3番人気が準オープンの平場戦勝利からの重賞初挑戦となったパーシャンボーイでした。前年の宝塚記念勝ち馬スズカコバン(1980.3.16)やエリザベス女王杯の勝ち馬リワードウイング(1982.4.26)ほか重賞勝ち馬が出走していましたが、それらを押しのけてパーシャンボーイは3番人気に推されたのでした。鞍上に高松邦男厩舎の主戦であった柴田政人騎手(現調教師)を配し、追い切りで絶好の動きを見せ、さらに当時はまだまだ駒が少なかった「外国産馬」の未知の魅力。漂う勝負気配を敏感に察知するのも競馬ファンです。果たせるかな、重賞初挑戦どころかGI初挑戦もなんのその、パーシャンボーイは中位からの大外ひとまくりで、ライバルたちを一蹴したのでした。
*
嬉しいGI制覇となったパーシャンボーイでしたが、登り詰めるまでの道程が「異様さ」を浮き彫りにします。
- 1985.2.24 新馬戦 中山芝2000m 5番人気5着
- 1985.3.10 新馬戦 中山芝1600m 3番人気2着
- 1985.3.31 未勝利戦 中山芝2200m 1番人気2着
- 1986.2.1 400万下 中京ダート1700m 3番人気7着
- 1986.2.16 400万特別 中京ダート2200m 5番人気8着
- 1986.3.9 400万下 小倉芝2600m 5番人気1着
- 1986.3.23 400万特別 小倉芝1800m 2番人気1着
- 1986.4.6 900万特別 中山芝2200m 4番人気1着
- 1986.4.27 谷川岳S(OP) 新潟芝1600m 4番人気2着
- 1986.5.11 1400万下 東京芝2000m 1番人気1着
- 1986.6.1 宝塚記念(GI) 阪神芝2200m 3番人気1着
デビューした満3歳時は1勝も出来ずに骨折で休養。復帰したのは満4歳の2月で、すでに未勝利戦はなく中京の400万下でダート2戦を走ったものの、砂が合わずに惨敗。
ところが3月の小倉芝2600mの長丁場で一変して2着馬に6馬身差勝ち、返す刀で中1週の同条件の芝1800mで不良馬場にも負けずに1と4分の1馬身差で勝利。
その後、やはり中1週で臨んだ4月の中山芝2200mの900万特別でも1と4分の3馬身差で快勝。「ならば」と中2週で挑んだ新潟マイルのオープン特別・谷川岳SはGII勝ち馬ダイナシュガー(1981.5.27)に半馬身差敗れましたが、中1週で5月の東京芝2000mの準オープン戦に出走して1番人気に応えて4分の3馬身差で優勝。
そうして、中2週で迎えたのが、宝塚記念でした。2月1日から6月1日までの丸4ヶ月で8戦、初勝利を挙げた3月9日から3ヶ月も経たないうちにGI勝ち。JRAグレード制導入後初の外国産馬によるGI勝利は一気呵成で遂げられたのでした。
*
ただ、やはり無理をしたところはあったのでしょう。
登り詰めたらあとは 下るしかないと 下るしかないと気付かなかった 天神様の細道
さだまさし「飛梅」
梅の季節に福岡の地で開花したパーシャンボーイでしたが、GIまで登り詰めた後に待っていたのは、屈腱炎という病魔との戦い。結局、宝塚記念がパーシャンボーイのラストランとなってしまいました。
*
故・伊達秀和オーナーに見出され、「ゆくゆくは種牡馬として」と期待されたパーシャンボーイ。けれど、Bold Ruler系の種牡馬は日本ではなかなかに難しいのか、産駒で平地のオープン級まで出世したのはパーシャンスポット(1989.5.10)くらい。パーシャンスポット、ちょうど私が競馬を見始めた頃に走っていた、差し脚の良い馬でした。
記録を辿れば、気鋭で鳴らした高松邦男・元調教師の最後のGI勝ちでもあった、1986年の第27回宝塚記念。歳月を経てなお、振り返り、思い起こすことが出来るのが、競馬の素敵なところのひとつ。
「パーシャンボーイのワンチャンスをモノにした勝負強さを、彼の生まれ日に、忘れずに記せて良かった」と、心から思いました。
では、以上オオハシでした。これから走る馬、人すべてが無事でありますように。