エルコンドルパサー 牡 黒鹿毛 1995.3.17生 米国・タカシ・ワタナベ氏生産 馬主・渡邊隆氏 美浦・二ノ宮敬宇厩舎
Kingmambo 鹿毛 1990.2.19 種付け時活性値:1.00 |
Mr.Prospector 鹿毛 1970.1.28 |
★Raise a Native 栗毛 1961.4.18 |
Native Dancer 1950.3.27 |
Raise You 1946 | |||
Gold Digger 鹿毛 1962.5.28 |
Nashua 1952.4.14 | ||
Sequence 1946 | |||
Miesque 鹿毛 1984.3.14 |
Nureyev 鹿毛 1977.5.2 |
Northern Dancer 1961.5.27 | |
Special 1969 ♀ | |||
Pasadoble 鹿毛 1979 |
Prove Out 1969 | ||
Santa Quilla 1970 | |||
サドラーズギャル 鹿毛 1989.4.29 仔受胎時活性値:1.25 |
Sadler’s Wells 鹿毛 1981.4.11 種付け時活性値:1.75 |
Northern Dancer 鹿毛 1961.5.27 |
Nearctic 1954.2.11 |
Natalma 1957.3.26 | |||
Fairy Bridge 鹿毛 1975 |
Bold Reason 1968 | ||
Special 1969 ♀ | |||
Glenveagh 鹿毛 1986 仔受胎時活性値:0.50 |
Seattle Slew 黒鹿毛 1974.2.15 種付け時活性値:0.75 |
Bold Reasoning 1968 | |
My Charmer 1969 | |||
Lisadell 鹿毛 1971 仔受胎時活性値:1.50 |
Forli 栗毛 1963.8.10 種付け時活性値:1.625 |
||
Thong 鹿毛 1964 ♀ 仔受胎時活性値:1.50 |
<5代血統表内のクロス:Special(♀)=Lisadell(♀)4×4×3、Northern Dancer4×3、Native Dancer4×5>
形相の遺伝 | 料の遺伝 | 牝系 | 何番仔? |
---|---|---|---|
Sadler’s Wells (Fairy Bridge) |
4.75 |
世界的名牝系 (No.5-H) |
2番仔 (2連産目) |
最強世代の一角を担った、もう1頭のマル外の怪物。日本調教馬初の満3歳時のジャパンカップ(GI)制覇を遂げたエルコンドルパサー。
着 順 |
馬 番 |
馬名 | 性齢 |
斤 量 |
騎手 |
走破 時計 |
着差 |
上り 3F |
馬体重 [前走比] |
調教師 |
人 気 |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
1 | 11 | エルコンドルパサー | 牡3 | 55 | 蛯名正義 | 2:25.9 | 35.0 |
472 [+2] |
二ノ宮敬宇 | 3 | |
2 | 1 | エアグルーヴ | 牝5 | 55 | 横山典弘 | 2:26.3 | 2 1/2 | 35.1 |
472 [-6] |
伊藤雄二 | 2 |
3 | 9 | スペシャルウィーク | 牡3 | 55 | 岡部幸雄 | 2:26.4 | 1/2 | 35.3 |
470 [-6] |
白井寿昭 | 1 |
4 | 6 | チーフベアハート | 牡5 | 57 | J.サントス | 2:26.7 | 2 | 35.0 |
460 [] |
M.R.フロスタッド | 4 |
5 | 5 | マックスジーン | 牝5 | 55 | C.アスムッセン | 2:26.7 | ハナ | 35.0 |
504 [] |
T.スキフィントン | 9 |
今となっては笑い種ですが、当時のエルコンドルパサーには、一部で「距離不安」が叫ばれていましたね。そりゃ、2000m超級のレースの初めて出走がジャパンカップになるのであれば、致し方なし。けれど、強いものは強い。世界的名牝系の多重クロス馬、その絶対能力の奥深さ。名前の通り、コンドルは飛んで行きました。
*
サンクルー大賞(仏GI)、ジャパンカップ、NHKマイルC(GI)のGI3勝は勿論ですが、やはり、彼の競走馬生のハイライトは、引退レースとなった1999年の凱旋門賞(仏GI)ではないでしょうか。
改めて見直しても、本当に惜しいレース。逃げて自分でレースをつくり、そして尚、最後の最後でもう1回差し返しに行っている姿に、胸が熱くなります。外からやって来たモンジュー(1996.4.4)とM.キネーン騎手、言っちゃあなんですけれど、憎々しかったもの(^^;)
その仇と言ってはなんですが、モンジューが次のレースとして選んだジャパンカップでは、最強世代のもう一角が、返り討ちにしてくれました。スペシャルウィーク(1995.5.2)と武豊騎手。
*
2002年7月16日。飛翔は定めだったのか、誰も望んでいないのに、満7歳の夏、エルコンドルパサーは大空へ還っていきました。翌週の週刊競馬ブックで彼の死亡を初めて知った私。それはそれは、衝撃を受けたものでした。
種牡馬としては僅か3世代しか産駒を残せなかったものの、菊花賞(GI)を3分2秒7のレースレコードで駆けたソングオブウインド(2003.2.20)、実は厩舎の先輩より早くGI制覇を遂げていたアロンダイト(2003.5.4)、そしてジーワン9勝の金字塔を打ち立てたヴァーミリアン(2002.4.10)と3頭のGI馬を送り込んでいます。他にもトウカイトリック(2002.2.26)、エアジパング(2003.3.27)、サクラオリオン(2002.3.1)、アイルラヴァゲイン(2002.4.5)、ビッググラス(2001.4.24)とJRA重賞を制した馬がいます。しかし、芝ダート、長短と多様なタイプが出たものです。そして、やはり牡馬に活躍馬が多いということは、父系が統領性を失っていないということの証左と考えます。もっともっと、産駒の走りを見たかったですね。
11戦8勝、2着3回。 いつでもどこでも、どんな条件でも、勝っても負けても、懸命で有り続けたエルコンドルパサー。「黄、青一本輪、赤袖」の勝負服を背にした、クビ差しのたくましい黒鹿毛馬。見る者を熱くさせたその姿、いつまでも、心に留めておきたいと思います。
では、以上オオハシでした。これから走る馬、人すべてが無事でありますように。