ウイングアロー(1995.3.25)。

ウイングアロー 牡 鹿毛 1995.3.25生 静内・フジワラファーム生産 馬主・池田實氏 栗東・工藤嘉見厩舎→南井克巳厩舎

ウイングアロー(1995.3.25)の4代血統表
アサティス
鹿毛 1985.3.28
種付け時活性値:0.25

Topsider
鹿毛 1974
Northern Dancer
鹿毛 1961.5.27
Nearctic 1954.2.11
Natalma 1957.3.26
Drumtop
鹿毛 1966
Round Table 1954.4.6
Zonah 1958
Secret Asset
鹿毛 1977
Graustark
栗毛 1963
Ribot 1952.2.27
Flower Bowl 1952
Numbered Account
鹿毛 1969
Buckpasser 1963.4.28
Intriguing 1964
サンヨウアロー
鹿毛 1988.4.11
仔受胎時活性値:1.50
ミスターシービー
黒鹿毛 1980.4.7
種付け時活性値:1.75
トウショウボーイ
鹿毛 1973.4.15
テスコボーイ 1963
ソシアルバターフライ 1957.4.13
シービークイン
黒鹿毛 1973.2.23
★トピオ 1964.4.18
メイドウ 1965.6.16
タニイチパワー
黒鹿毛 1981.2.22
仔受胎時活性値:1.50
ネヴァービート
栃栗毛 1960
種付け時活性値:1.00
★Never Say Die 1951
Bride Elect 1952
ロングパワー
鹿毛 1967.4.19
仔受胎時活性値:1.25
ヒンドスタン
黒鹿毛 1946
種付け時活性値:1.00
マーシュメドウ
芦毛 1956
仔受胎時活性値:0.50

<5代血統表内のクロス:Nasrullah5×5>

ウイングアロー(1995.3.25)の中島理論的総括
形相の遺伝 料の遺伝 牝系 何番仔?
ミスターシービー
(Woodlark)
4.75 叔父ユーセイトップラン
(No.11-F)
初仔

最強世代のダート部門を担ったウイングアロー。彼は、最初と最後にまつわる馬でした。

第17回フェブラリーS(GI)の結果(上位5頭。馬齢は現年齢表記に合わせる)


馬名 性齢
騎手 走破
時計
着差 上り
3F
馬体重
[前走比]
調教師
1 14 ウイングアロー 牡5 57 O.ペリエ 1:35.6    35.9 456
[-18]
工藤嘉見 4
2 6 ゴールドティアラ 牝4 54 武豊 1:35.7 1/2 36.2 446
[-16]
松田国英 2
3 1 ファストフレンド 牝6 55 蛯名正義 1:35.7 ハナ 36.2 502
[+4]
高市圭二 7
4 15 メイセイオペラ 牡6 57 菅原勲 1:35.7 クビ 37.1 504
[+10]
佐々木修一 3
5 13 セレクトグリーン 牡5 57 後藤浩輝 1:35.9 1 37.0 512
[-2]
音無秀孝 11

2000年のフェブラリーS(GI)。道中は最後方に位置して、直線で大外から豪脚を駆使して、最後の最後、名前の通り矢のように突き抜けたというレースでした。純然と中島理論的な見方をすると、最優性先祖であるミスターシービーばりのレースでした。まま、ミスターシービーは追い込みというよりは、マクリという表現が似合うのかも知れませんけれど(^_^;)

閑話休題。このフェブラリーSはオリビエ・ペリエ騎手のJRAGI初勝利であると共に、管理された工藤嘉見調教師が引退直前の最後のGI勝利でもありました。

*

第1回ジャパンカップダート(GI)の結果(上位5頭。馬齢は現年齢表記に合わせる)


馬名 性齢
騎手 走破
時計
着差 上り
3F
馬体重
[前走比]
調教師
1 6 ウイングアロー 牡5 57 岡部幸雄 2:07.2    37.6 460
[-1]
南井克巳 4
2 1 サンフォードシチー 牡5 57 村山明 2:07.8 3 1/2 37.5 478
[+2]
大沢真 5
3 5 ロードスターリング セ4 57 J.ヴァルディヴィアJr. 2:08.3 3 39.3 488
[0]
A.マーケス 6
4 4 プリエミネンス 牝3 53 柴田善臣 2:08.5 1 1/4 38.5 470
[-1]
伊藤圭三 11
5 9 ファストフレンド 牝6 55 蛯名正義 2:08.8 1 3/4 38.6 502
[+2]
高市圭二 1

2000年のジャパンカップダート(GI)。4コーナーから直線。馬場中央を良い手応えで上がって来た、赤い帽子に「桃、紫襷、緑袖紫二本輪」の勝負服、凜とした鹿毛の馬体、黒メンコに☆#x2606]ひとつ。岡部幸雄騎手が自信を持ってゴーサインを出されたのでしょう。あとは、ただただ、独走するだけでした。私にとって、ウイングアローが3番手から脚勢よく抜け出して来た姿は、不思議と、忘れられない競馬シーンのひとつです。

併せて2着のサンフォードシチー(1995.5.9)と村山明騎手。鋭脚でしたね。現在は気鋭の調教師として鳴る村山師、騎手時代の平地重賞勝ちは、サンフォードシチーでこのジャパンカップダートの前哨戦である武蔵野S(GIII)を制した1勝のみでした。ほかには1994年の中京障害S・秋をキンセンアラシ(1990.4.27)で制されています。ニチドウアラシ(1976.3.20)の仔、懐かしい。

……閑話休題。このジャパンカップダートは第1回。記念すべき初代王者の称号を得ると共に、工藤調教師からウイングアローを引き継がれた南井克巳調教師にとっても、開業初年度の初GI勝利でした。そして、無理に最後にこじつけるならば、岡部騎手にとっては、最後のダートGI勝利でした。

*

20世紀末から21世紀初頭にかけて、ダート路線の重賞では必ずと言って良いほどその姿を見せてくれたウイングアロー。通算30戦11勝、2着7回、3着5回。ダートで5着を外したのは引退前の2戦のみ。

いつでも懸命にゴールへ向かって駆け込んでくる、星ひとつの黒メンコ。460kgほどの鹿毛の馬体が、砂上で弾んで、ウイングアロー。いつまでも記憶に残る、強いダートホースでした。

では、以上オオハシでした。これから走る馬、人すべてが無事でありますように。

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