「帰って参りました」改め「中日新聞杯(GIII)と聞くとファンドリショウリ(1991.3.27)と宝来城多郎騎手を思う」。

どうもー、かろむわんでございます。東京から帰って参りました。

本来であれば通常の更新を行いたいところではありますが、のっぴきならぬ理由で、後回しになってしまいます。申し訳ない。

という訳で、本日の更新は以上でございます。恐れ入ります。

2005/12/10、追記。中日新聞杯の思い出馬について。現在では唯一のマル父限定重賞となった中日新聞杯。裏街道ゆえに印象に残っているのは、ファンドリショウリと宝来城多郎騎手のコンビでしょうか。セットで出てくる馬と人のコンビ、GIIIクラスではなかなかパッと出てこない時もありますが、ファンドリショウリと聞くと宝来城多郎、宝来城多郎と聞くとファンドリショウリ。条件反射のように出てくるのですから、名コンビです。

布施正調教師(故人)の晩年の活躍馬は、「ネーハイシーザー(1990.4.27)と塩村克己騎手」や、この「ファンドリショウリと宝来騎手」など「騎手とのコンビで語られる馬」ですね。大正生まれの昔かたぎの三冠トレーナー。馬だけではなく、人も育てなければならない。そんな思いが、失礼ながら、ちょっと目立たない若手騎手の起用につながったのではないでしょうか。

その布施師の心意気に触れ、ファンドリショウリを勝利に導くことで応えた宝来騎手も立派でした。

2008/06/22、追記。今日の今日まで宝来現調教助手のお名前を「城太郎」と記載しておりました。もちろん正しくは「城多郎」です。あと、塩村現調教助手のお名前も「勝己」としておりました。こちらは正しくは「克己」です。大変申し訳ありませんでした。お詫びして訂正させて頂きます。

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