春を迎えると、日々、馬の誕生日を思ってしまうオオハシでございます。という訳で、その日に生まれた馬を辿る企画を、今年2013年も毎週水曜日にお届けしたいと思いました。「自分と同じ年に生まれた馬を辿る」記事もありますが、こちらも併せてお届け致します。その第1回は「特別な馬」を。
ハイセイコー 牡 黒鹿毛 1970.3.6生~2000.5.4没 新冠・武田牧場生産 馬主・(株)王優→ホースマンクラブ 大井・伊藤正美厩舎→東京・鈴木勝太郎厩舎
★ チヤイナロツク 栃栗毛 1953 種付け時活性値:0.00 |
Rockefella 黒鹿毛 1941 |
Hyperion 栗毛 1930.4.18 |
Gainsborough 1915.1.24 |
Selene 1919 | |||
Rockfel 黒鹿毛 1935 |
Felstead 1925 | ||
Rockliffe 1928 | |||
May Wong 栗毛 1934 |
Rustom Pasha 鹿毛 1927 |
Son-in-Law 1911 | |
Cos 1920 | |||
Wezzan 栗毛 1924 |
Friar Marcus 1912 | ||
Woodsprite 1916 | |||
ハイユウ 黒鹿毛 1961.4.1 仔受胎時活性値:2.00 |
カリム 鹿毛 1953 種付け時活性値:1.75 |
Nearco 黒鹿毛 1935.1.24 |
Pharos 1920 |
Nogara 1928 | |||
Skylarking 栗毛 1947 |
Mirza 1935 | ||
Jennie 1936 | |||
ダルモーガン(AUS) 黒鹿毛 1950.8.12 仔受胎時活性値:0.375 |
Beau Son(AUS) 黒鹿毛 1938 種付け時活性値:0.75 |
Beau Pere 1927 | |
Banita 1933 | |||
Reticent(AUS) 鹿毛 1941 仔受胎時活性値:2.00(0.00) |
Hua(AUS) 鹿毛 1934 種付け時活性値:1.50 |
||
Timid(GB) 鹿毛 1922 仔受胎時活性値:0.625 |
<5代血統表内のクロス:Son-in-Law4×5>
父 | 母父 | 祖母父 | 曾祖母父 |
---|---|---|---|
★チヤイナロツク (Hyperion系) |
カリム (Nearco系) |
Beau Son (Son-in-Law系) |
Hua (Cyllene系) |
形相の遺伝 | 料の遺伝 | 牝系 | 母の何番仔? |
カリム (Prestige) |
5.00 or 3.00 |
豪州牝系 (No.12-g) |
3番仔? (前年産駒無し後?) |
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着 順 |
馬 番 |
馬名 | 性齢 |
斤 量 |
騎手 |
走破 時計 |
着差 | 調教師 |
人 気 |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
1 | 7 | ハイセイコー | 牡3 | 57 | 増沢末夫 | 2:06.7 | 鈴木勝太郎 | 1 | |
2 | 1 | カネイコマ | 牡3 | 57 | 蛯沢誠治 | 2:07.1 | 2.1/2 | 成宮明光 | 6 |
3 | 13 | ホウシユウエイト | 牡3 | 57 | 野平祐二 | 2:07.1 | アタマ | 日迫淸 | 2 |
4 | 12 | イチフジイサミ | 牡3 | 57 | 郷原洋行 | 2:07.3 | 1.1/2 | 松永光雄 | 10 |
5 | 5 | シヤダイオー | 牡3 | 57 | 中島啓之 | 2:07.6 | 1.3/4 | 上田武司 | 7 |
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着 順 |
馬 番 |
馬名 | 性齢 |
斤 量 |
騎手 |
走破 時計 |
着差 | 調教師 |
人 気 |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
1 | 10 | ハイセイコー | 牡4 | 55 | 増沢末夫 | 2:12.9 | レコード | 鈴木勝太郎 | 2 |
2 | 8 | クリオンワード | 牡4 | 55 | 安田伊佐夫 | 2:13.7 | 5 | 栗田勝 | 3 |
3 | 9 | トーヨーチカラ | 牡4 | 55 | 田島良保 | 2:13.9 | 1 | 斉藤義美 | 8 |
4 | 1 | シヤダイオー | 牡4 | 55 | 中島敏文 | 2:14.1 | 1.1/4 | 上田武司 | 11 |
5 | 4 | ベルワイド | 牡6 | 55 | 加賀武見 | 2:14.5 | 2.1/2 | 阿部正太郎 | 6 |
*
ハイセイコー。その成績を紐解けば、2200m以下の距離では[13-2-0-0]、2200mを超えると[0-2-2-3]。ハイセイコーは母父カリムの血に抗うべく距離に挑みましたが、本質はやはり「中距離の名馬」だったのでしょう。皐月賞、宝塚記念、高松宮杯(現高松宮記念、現GI)、中山記念(現GII)、弥生賞(現GII)、スプリングS(現GII)、NHK杯(旧GII)と1800mから2200mまでの中央重賞7勝を挙げたのでした。
こうなると2200m以下で敗れた2着2回が気になるもので、1回目が満3歳10月の不良馬場の京都新聞杯(現GII)でトーヨーチカラ(1970.5.11)に0秒1差、2回目が満4歳11月の1800mのオープンで「オープン大将」にして最後の中央20勝馬かも知れないヤマブキオー(1970.4.11)に0秒3差でした。
もっとも、そんな記録で推し量れないのが、ハイセイコー。「東京都 ハイセイコー様」で郵便物が届くという伝説を残した馬は、後にも先にも、ハイセイコーだけです。
そしてまた、ハイセイコーが「特別な馬」たる所以は、自身が3着に敗れた日本ダービー(現GI)は初年度産駒カツラノハイセイコ(1976.5.13)が勝利を収めたことにより「ダービー馬の父」となり、サンドピアリス(1986.5.17)でビックリさせ、そしてハクタイセイ(1987.4.17)が父仔2代の皐月賞制覇を飾る等、世代重ねても輝きを失わなかったところ。
ハイセイコー。やはり、空前にして絶後の「特別な馬」でした。
では、以上オオハシでした。これから走る馬、人すべてが無事でありますように。
*
#余談。
中央時代の主戦騎手が歌を歌って50万枚以上レコードを売り上げられる馬もハイセイコーだけ。