第67回皐月賞(JpnI)。
1着ヴィクトリー(2004.4.3)。田中勝春騎手、15年ぶりのJRAGI(JpnI含む)勝利、なる。勝利騎手インタビューの折りの「岩田君ほど上手くない」。カッチー、自分でそんなこと言っちゃあ、いけませんよ(笑)。気持ちはほっこりはしましたけれど、上手くない人が、毎年毎年、あんなに勝てますかいな(笑)。勝つということ。それがたまたま、JRAGIでなされなかっただけ。時と場所と場合が重なれば、勝てる。そして、それが、今日2007年4月15日に成されました。鞍下の名前が「Victory」とは、象徴的な馬だったのかもしれませんね。カッチーが欲したものが、そこにありました。
という訳で、かかり気味に行ってしまう若さを見せながら皐月賞を逃げて押し切り勝ちした、ヴィクトリー自身の能力の高さにも脱帽。サスガは、リンカーン(2000.3.18)の弟にして、フサイチコンコルド(1993.2.11)の甥。そして、種牡馬ブライアンズタイム(1985.5.28)の、大一番での底力を改めて確認。平成の御三家種牡馬、最後の生き残り。SS二世種牡馬たちには負けられない、というところでした。
2着サンツェッペリン(2004.4.15)。自身満3歳の誕生日、わずかに「ハナ」差で大魚を逃してしまいました。惜しかった。でも、何故15番人気(苦笑)。京成杯(JpnIII)の勝ち馬にして、ホープフルS(OP)の2着。ダテに、皐月賞の戦前に中山芝2000mで2戦2連対していた訳ではありません。京成杯を勝ち、体調万全ではないスプリングS(JpnII)で大敗。そのローテーションから、彼にオースミブライト(1996.4.10)の影を見た人は、ほくそ笑まれたでしょうね(笑)
サンツェッペリン。やっぱり「母父オーガイジャン」だけに、行かせてナンボですね。松岡正海騎手、分かっていらっしゃいました。私にとっては相性の良い騎手です。というか、単純に上手いのでしょう。次代を担う若手です。斉藤誠調教師との前田禎調教師の弟子コンビ、これからも頑張って欲しいものです。
3着フサイチホウオー(2004.2.16)。後続勢の中で唯一2頭に迫った上がり3ハロン33秒9の末脚。うなっていました。ただ、今日は、やはり共同通信杯からという久々も影響したのでしょう。そして、1枠1番。行き脚はそんなに速くない為、いったん下げて外に出さざるを得なかった。そして結果3着。
父ジャングルポケット(1998.5.7)の時とは状況は違えど、皐月賞については「父の轍」をそのまま辿ったことになりました。「共同通信杯勝ちから直行のローテーション」、「1枠1番」、「単勝2番人気」、「結果3着」。となると、日本ダービー(JpnI)での巻き返しを期待したいところです。背中や腰に若干の不安を抱えるこの馬では、サスガに松田国英調教師もNHKマイルカップ(JpnI)を挟まれることはないでしょうしね(笑)
また、得意の結果論になってしまいますが(笑)、1、2着馬はサンデーサイレンス(1986.3.25)の血を持っておらず、3着馬は出走18頭中唯一SSが0化されていた馬でした。3歳の4月、もう繁殖闘争は始まっているのでしょうか。5月の結果は、果たして。
結局、田中勝春騎手が15年ぶりのJRAGI(JpnI含む)勝ちを収め、今日4月15日に誕生日を迎えた単勝15番人気の馬が2着に入り、父の轍を踏んだ鳳凰が3着という、第67回皐月賞の結果でした。
↑おまけ。皐月賞のゴール前後で叫ぶオオハシ。
#2007/04/15 23:29 追記。いま改めて日程を見直すと、アグネスタキオン(1998.4.13)、ダンツフレーム(1998.4.19)、ジャングルポケットで決着した2001年の皐月賞も4月15日に行われていたんですね。丸6年の時は巡り、フサイチホウオーはまさに「父の轍」を踏みました。