初めて意識をして見たクラシック世代を辿る(其の七)-ホクトベガ(1990.3.26)-。

私も案外長いこと競馬を見ていることに気付いてしまいました。現3歳の2009年生まれ世代で都合20世代のクラシックを見ることになります。そりゃ、ピチピチの10代やったのに、30代半ばに差し掛かりますわ(^^ゞ

そんな訳で、初めて意識をして見たクラシック世代である、1990年生まれ世代のGI勝ち馬たちを辿ってみたいと思います。

折しも3月26日、存命であれば22歳を迎えていた、東の1等星にして砂の女王を。

ホクトベガ 牝 鹿毛 1990.3.26生~1997.4.3没 浦河・酒井牧場生産 馬主・金森森商事(株) 美浦・中野隆良厩舎

ホクトベガ(1990.3.26)の4代血統表

ナグルスキー
鹿毛 1981.1.27
種付け時活性値:0.00
Nijinsky
鹿毛 1967.2.21
Northern Dancer
鹿毛 1961.5.27
Nearctic 1954.2.21
Natalma 1957.3.26
Flaming Page
鹿毛 1959.4.24
Bull Page 1947
Flaring Top 1947
Deceit
黒鹿毛 1968.5.3
Prince John
栗毛 1953.4.6
Princequillo 1940
Not Afraid 1948
Double Agent
黒鹿毛 1959.4.30
Double Jay 1944
Conniver 1944
タケノファルコン
黒鹿毛 1982.5.8
仔受胎時活性値:1.75
フィリップオブスペイン
黒鹿毛 1969.2.16
種付け時活性値:1.00
Tudor Melody
黒鹿毛 1956
Tudor Minstrel 1944
Matelda 1947
Lerida
鹿毛 1961
マタドア 1953
Zepherin 1945
クールフェアー
栗毛 1978.4.12
仔受胎時活性値:0.75
イエローゴッド
栗毛 1967
種付け時活性値:0.50
Red God 1954.2.15
Sally Deans 1947
シヤークスキン
鹿毛 1969
仔受胎時活性値:2.00(0.00)
シルバーシャーク
芦毛 1963
種付け時活性値:1.25
Atrevida
芦毛 1958.4.30
仔受胎時活性値:0.50

<5代血統表内のクロス:なし>

ホクトベガ(1990.3.26)の中島理論的総括
母父 祖母父 曾祖母父
★ナグルスキー
(Nijinsky系)
フィリップオブスペイン
(Owen Tudor系)
イエローゴッド
(Red God系)
シルバーシャーク
(Relic系)
形相の遺伝 料の遺伝 牝系 母の何番仔?
シルバーシャーク
(Palsaka)
5.00 or 3.00
(No.9-c)
3番仔
(2連産目)

*

第18回エリザベス女王杯(GI)の結果(上位5頭。馬齢は現年齢表記に合わせる)


馬名 性齢
騎手 走破
時計
着差 上り
3F
馬体重
[前走比]
調教師
1 1 ホクトベガ 牝3 55 加藤和宏 2:24.9 レース
レコード
35.3 482
[-4]
中野隆良 9
2 14 ノースフライト 牝3 55 角田晃一 2:25.1 1.1/2 35.7 474
[-8]
加藤敬二 5
3 12 ベガ 牝3 55 武豊 2:25.4 2 36.0 438
[0]
松田博資 2
4 13 ノーブルメロディー 牝3 55 柴田政人 2:25.5 クビ 35.6 466
[-8]
増沢末夫 12
5 10 ベストダンシング 牝3 55 安田隆行 2:25.5 クビ 36.2 446
[-2]
沖芳夫 7

「東の1等星」ホクトベガ。春のクラシックでは桜花賞(GI)5着、オークス(GI)6着とあと一歩の成績でしたが、3歳牝馬GIの最終戦で見事に戴冠しました。TV中継で「ベガはベガでもホクトベガ!!」と関西テレビの馬場鉄志アナウンサーに叫ばれましたが、この勝利がフロックで無かったことは、「砂の女王」へと成長したことで証明されました。レースの2着には、後の「美しきマイル女王」ノースフライト(1990.4.12)。牝馬3冠の期待がかかった「西の1等星」ベガ(1990.3.8)は3着でした。ちなみに、馬番連勝の配当は25650円の万馬券でした。1、2着馬の後の戦績を考えると……、つき過ぎですね(^^ゞ

エリザベス女王杯の後、満4歳以降。

4歳。夏の札幌日経オープン(OP)と札幌記念(現GII。当時GIII)を連勝したところは流石でしたけれど、その他のレースでは善戦するものの勝利を挙げることが出来ませんでした。

5歳。「障害入り」「繁殖入り」も考えられましたが、年明けのAJC杯(GII)2着で自力を示し、春には京王杯SC(GII)3着、安田記念(GI)5着と善戦した後、ホクトベガ陣営は交流重賞である川崎のエンプレス杯(現JpnII)を次の目標に選びました。このレースが、彼女の分水嶺となりました。4歳初めの平安S(GIII)10着以来1年半ぶりのダート戦で、彼女は2着馬を3秒6-着差にして18馬身-もぶっちぎる快走を見せました。

そして、迎えた6歳。周囲の同期生たちは皆繁殖入りしていく中、彼女は主戦場を交流重賞のダート戦としました。1月の川崎記念(現JpnI)、2着馬に1秒差をつける圧勝。2月のフェブラリーS(現GI。当時GII)、2着アイオーユー(1990.5.15)に0秒6差をつけ楽勝。3月のダイオライト記念(現JpnII)、2着馬に0秒5差つけてこれまた楽勝。4月はひと休み。5月の群馬記念(旧GIII)、ダート1500m1分33秒6のレコード勝ち。6月の帝王賞(現JpnI)、2着はフェブラリーSと同じアイオーユーで、0秒4差つけ完勝。7月のエンプレス杯、前年よりも着差をつけられなかったものの、2着馬に1秒5差の圧勝。暑い8月、9月はお休み。10月のマイルチャンピオンシップ南部杯(現JpnI)、ダート1600m1分38秒3のレコード勝ち。11月、ホクトベガは古牝馬に開放されたエリザベス女王杯に出走しました。11ヶ月ぶりの芝レースでしたが、ここは4着でした。同厩舎のもう1頭の名牝、誕生日の日付が同じヒシアマゾン(1991.3.26)との生涯初めての揃い踏みでした。12月の浦和記念(現JpnII)、2着に強豪キョウトシチー(1991.5.3)を従えて、0秒2差での勝利でした。その後、6歳の最終戦をグランプリ有馬記念(GI)としたホクトベガは9着に終わりました。

明けて7歳。1月、ベガやノースフライトがお産の準備に勤しむ中、ホクトベガは前年に引き続き川崎記念に出走。2着のキョウトシチーに0秒6差をつけて優勝し、ダート交流重賞10連勝が達成されました。夢が、遥か遠いドバイの空に向けられた瞬間でした。

*

「客死」という響きは、普段耳慣れないものです。旅行先で逝去してしまうことをそう言います。

ホクトベガはドバイへ戦いに出向きました。だから、本当は「戦死」という表現が適当なのかもしれません。

ホクトベガは、戦いのさなかで、死にゆく運命を、誰も望んでいないのに、いち早く、自らに引き寄せてしまいました。

ホクトベガの、あの強さが「死」を呼び込んでしまったのならば、勝負の神様は意地悪としか言いようがありません。

  

ホクトベガの誕生日は3月26日。3月26日の誕生花は「さくら草」、その花ことばは「初恋」--。

  

ありし日には1度も恋を成就できず、異国の空の下に散ったホクトベガの命。空の上では、せめて幸せな初恋を、と願います。

そしてまた、ドバイの地で後輩たちが走る姿、空の上から、見守っていて欲しいと思います。

  

では、以上オオハシでした。これから走る馬、人すべてが無事でありますように。

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