「京成杯AH(GIII)」と聞くと、サクラチトセオー(1990.5.11)を思う。

サクラチトセオーが勝った1994年当時は、まだ「京王杯AH」でした。今でも混乱しますね。京成杯2歳S(GII)が京王杯2歳Sに、京王杯AHが京成杯AHに変更となったのが1998年。関東の方はパッとお分かりになるのでしょうけれど、私は「分からんなぁ」という感じです。7年も経つのに、この適応力のなさ(笑)。

さて、サクラチトセオー。京王杯AHを制した際の勝ち時計が1分32秒1の日本レコード。生涯21戦中、唯一、小島太騎手(現調教師)ではなく的場均騎手(現調教師)が騎乗された一戦でした。このレースをTV中継で見ていた時、フジTV解説の吉田均さんが勝ち時計について問われ、「吉田さん、レコード決着は?」「うーん、今回のメンバーの中にはダイナアクトレス(注:当時の日本レコードホルダー)級はいませんので」と仰っていたのを思い出します。サクラチトセオーがあっさりレコードで制した時、ちょっと切なかったでしょうね(苦笑)。

サクラチトセオーは、昨日のlogで触れたマイシンザン(1990.3.7)の同級生。残念ながらマイシンザンは5歳秋の天皇賞・秋(GI)を前日に左前脚屈腱炎で出走取消でしたが、かたきは同級生が取ってくれました。ジェニュイン(1992.4.28)との争いになった時、「6歳世代(注:旧年齢表記)の意地を見せたれ!!」と思わずTV画面に叫んだのは、私、かろむわんです(笑)。

#追記。昨日、押入のビデオテープを引っ張り出してきたら、たまたま、1995年の毎日王冠(GII)のVTRを発見しました。雨中の争い、安田富男騎手のスガノオージ(1991.3.18)が果敢に逃げて、そのまま押し切りました。そのレースの4着がサクラチトセオー、5着がマイシンザン、6着がジェニュインでした。着差は、4着と5着が「2分の1馬身」、5着と6着が「ハナ」でした。雨の前哨戦で本領を発揮できなかった4着馬、6着馬で決まった本番。毎日王冠から天皇賞・秋(GI)の結果を見るにつけ、もしマイシンザンの脚元が持ってくれたならば、首位の争いに加われたかもしれないと思ってしまいました……。

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