自分と同じ年に生まれた馬を辿る(其の八)-モンテプリンス(1977.4.1)-。

今年2013年の春は、自分と同じ年に生まれた馬を誕生日順に辿ろうという企画でございます。その第8回はモンテプリンス。

モンテプリンス 牡 鹿毛 1977.4.1生~2002.8.29没 浦河・杵臼斉藤牧場生産 馬主・毛利喜八氏 美浦・松山吉三郎厩舎

モンテプリンス(1977.4.1)の4代血統表
シーホーク
芦毛 1963.3.16
種付け時活性値:1.25
Herbager
鹿毛 1956
Vandale
鹿毛 1943
Plassy 1932
Vanille 1929
Flagette
栗毛 1951
Escamillo 1939
Fidgette 1939
Sea Nymph
芦毛 1957
★Free Man
鹿毛 1948
Norseman 1940
Fantine 1943
Sea Spray
芦毛 1947
Ocean Swell 1941
Pontoon 1940
モンテオーカン
鹿毛 1967.4.28
仔受胎時活性値:0.25
ヒンドスタン
黒鹿毛 1946
種付け時活性値:1.00
Bois Roussel
黒鹿毛 1935
★Vatout 1926
Plucky Liege 1912
Sonibai
鹿毛 1939
★Solario 1922
Udaipur 1929
マリアドロ
黒鹿毛 1957
仔受胎時活性値:0.25
Big Game
鹿毛 1939
種付け時活性値:0.25
Bahram 1932
Myrobella 1930
Golden Marie
鹿毛 1951
仔受胎時活性値:1.25
Goyama
栗毛 1943
種付け時活性値:1.75
Nearly
鹿毛 1940
仔受胎時活性値:0.50

<5代血統表内のクロス:Umidwar=Udaipur(♀)5×4、Firdaussi5×5(父方)、Blandford5×5(母方)>

モンテプリンス(1977.4.1)の中島理論的総括
母父 祖母父 曾祖母父
シーホーク
(Herbager系)
ヒンドスタン
(Bois Roussel系)
Big Game
(Blandford系)
Goyama
(Tourbillon系)
形相の遺伝 料の遺伝 牝系 母の何番仔?
Goyama
(マリアドロ)
2.25 全弟モンテファスト
(No.21-a)
4番仔
(4連産目)

*

第85回天皇賞・春(現GI)の結果(上位5頭。馬齢は現年齢表記に合わせる)


馬名 性齢
騎手 走破
時計
着差 馬体重 調教師
1 3 モンテプリンス 牡5 58 吉永正人 3:19.2 コース
レコード
512 松山吉三郎 1
2 13 アンバーシャダイ 牡5 58 加藤和宏 3:19.4 1.1/4 468 二本柳俊夫 3
3 16 ゴールドスペンサー 牡6 58 河内洋 3:20.2 5 444 中尾銑治 4
4 10 ミナガワマンナ 牡4 58 菅原泰夫 3:20.3 1/2 492 仲住芳雄 2
5 2 アジシバオー 牡4 58 岩元市三 3:20.3 ハナ 484 新川恵 12

よく知られる「無冠の貴公子に春が訪れてから9年目、無冠のプリンスにも春が訪れました」という杉本清アナウンサーの名調子も飛び出した第85回天皇賞・春。モンテプリンスにとっては6回目、鞍上の吉永正人騎手にとっては54回目の八大競走挑戦で掴んだ栄冠でした。

*

第23回宝塚記念(現GI)の結果(上位5頭。馬齢は現年齢表記に合わせる)


馬名 性齢
騎手 走破
時計
着差 馬体重 調教師
1 9 モンテプリンス 牡5 57 吉永正人 2:12.6    506 松山吉三郎 1
2 5 カツアール 牡6 56 樋口弘 2:12.8 1.1/2 492 柳田次男 3
3 4 タクラマカン 牡4 56 大崎昭一 2:13.0 1.1/2 514 松山康久 8
4 13 キョウエイプロミス 牡5 57 柴田政人 2:13.2 1.1/2 472 高松邦男 7
5 2 サーペンプリンス 牡5 57 的場均 2:13.2 アタマ 484 大久保洋吉 9

天皇賞・春を制して勝ち運に乗って挑んだ春のグランプリ。それまでの惜敗がウソのように、現在でいうGIレースを連勝。黄色の帽子に「白、赤蛇目散、白袖」の勝負服、そして勝負服に合わせた白メンコを着けた鹿毛馬が、真の強者であることを見せ付けたのでした。

*

「太陽の王子」モンテプリンス。ダービー2勝トレーナーの故・戸山為夫調教師をして、「名馬と言える3頭の中の1頭」と言わしめました。ほかの2頭はシンザン(1961.4.2)、メジロマックイーン(1987.4.3)ということで、モンテプリンスの素養の高さを買われていたそうです。現代の調教施設があれば、いわゆるGI級レース2勝で終わるような馬ではなかった、とも。

それは、取りも直さず、モンテプリンスの敵は、他馬ではなく、実は自分自身だった、ということでしょう。大型馬で脚元の難しいところがあり血行障害や繋靭帯炎などでも悩まされたことや、太陽の王子という渾名の由来にもなった道悪不得手も、自身の蹄、いわゆる蹄底の浅い、ベタな蹄の形に因るところがあったのでしょう。自身の調子はもちろんですが、天候や馬場とも戦わなければならなかったモンテプリンス。どのサラブレッドでも同じではありますが、競馬という勝負に挑むことの難しさが垣間見えます。

ただそれでも、モンテプリンスは、無冠のプリンスで終わらなかったところが、大器たる所以。皐月賞(現GI)4着、日本ダービー(現GI)2着、菊花賞(現GI)2着、天皇賞・秋(現GI)2着、有馬記念(現GI)3着。ここ一番で惜しい競馬が続いたモンテプリンスは、スケールの大きさを信じ続けた陣営やファンに対して、満5歳春の天皇賞・春、宝塚記念を1番人気の連勝で応えてみせたのでした。

大レースを1番人気で勝てる馬というのは、やはり、名馬なのだと思います。それを2回続けたのですから、モンテプリンス、紛うことなく、真の名馬だったのです。

*

モンテプリンスは、繁殖馬としてグレートモンテ(1985.3.4)、サークルショウワ(1985.4.29)という2頭のJRA重賞勝ち馬を送り込みましたが、自身に並ぶようなGI勝ち馬は現れませんでした。グレートモンテが札幌記念(当時GIII。現GII)で叩き出した1分58秒9は、長らく札幌芝2000mの基準タイムかつレコードタイムでしたね。モンテプリンスの仔ということでは、アンジェロパテオ(1992.4.7)がセントライト記念(GII)3着から菊花賞に挑んだことを思い出します。1995年、マヤノトップガン(1992.3.24)が勝利を収めた年でした。

太陽の王子の最期は、茨城県の東大農学部附属牧場で繋養されて、2002年に亡くなりました。満22歳時の1999年まで種付けの記録が残っていますし、若者たちに、きっとずっと、最期まで大切にされたのでしょう。

モンテプリンス、幸せな晩年であったはずです。

  

では、以上オオハシでした。これから走る馬、人すべてが無事でありますように。

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