ロサード 牡 鹿毛 1996.4.22生 早来・ノーザンファーム生産 馬主・(有)社台RH 栗東・橋口弘次郎厩舎
サンデーサイレンス 青鹿毛 1986.3.25 種付け時活性値:0.25 |
★ Halo 黒鹿毛 1969.2.7 |
Hail to Reason 黒鹿毛 1958.4.18 |
Turn-to 1951 |
Nothirdchance 1948 | |||
Cosmah 鹿毛 1953.4.4 |
★Cosmic Bomb 1944 | ||
Almahmoud 1947 ♀ | |||
Wishing Well 鹿毛 1975.4.12 |
Understanding 栗毛 1963.2.17 |
★Promised Land 1954.3.31 | |
Pretty Ways 1953.3.21 | |||
Mountain Flower 鹿毛 1964.3.23 |
Montparnasse 1956 | ||
Edelweiss 1959.2.15 | |||
ローザネイ 栗毛 1988.2.9 仔受胎時活性値:1.75 |
Lyphard 鹿毛 1969 種付け時活性値:0.50 |
Northern Dancer 鹿毛 1961.5.27 |
Nearctic 1954.2.11 |
Natalma 1957.3.26 | |||
Goofed 栗毛 1960.3.29 |
▲Court Martial 1942 | ||
Barra 1950 | |||
Riviere Doree 栗毛 1980.4.11 仔受胎時活性値:1.75 |
Secretariat 栗毛 1970.3.30 種付け時活性値:0.25 |
Bold Ruler 1954.4.6 | |
Somethingroyal 1952 | |||
Riverqueen 鹿毛 1973 仔受胎時活性値:1.50 |
Luthier 黒鹿毛 1965.3.22 種付け時活性値:1.75 |
||
Riverside 鹿毛 1966 仔受胎時活性値:1.50 |
<5代血統表内のクロス:Almahmoud(♀)4×5>
形相の遺伝 | 料の遺伝 | 牝系 | 何番仔? |
---|---|---|---|
Luthier (Montagnana) |
6.50 |
半姉ロゼカラー (No.1-W) |
2番仔 (不受胎及び流産後) |
全弟ヴィータローザ(2000.4.9)が引退するということで、そして新潟2歳Sの季節ということで、思い出したのはロサード。まだ右回りで芝1400mの距離で行われた1998年の第18回新潟3歳S(当時名)。先行集団から抜け出したのは408kgの小柄な鹿毛馬、ロサードと江田照男騎手。勝った直後は「サスガにロゼカラーの弟、仕上がりが早い」と思ったものでした。
新潟2歳Sと同日に行われた第18回小倉3歳S(現小倉2歳S、JpnIII)を九州産馬であるコウエイロマン(1996.3.7)が制したことにより、橋口弘次郎厩舎は同日東西重賞制覇の快挙を遂げられました。ああ、コウエイロマンが制した小倉3歳Sは京都で代替開催でしたね。懐かしいなぁ。高橋亮騎手もバンバン勝っていたなぁ……。
*
小柄ゆえに仕上がりが早く、てっきり「早稲」だと思っていたロサード。しかし、そんな私の考えをはねのけて、彼は長く重賞戦線を賑わせました。現年齢表記2歳から7歳まで6年間しっかり走り抜いて重賞を全5勝。上述の新潟3歳Sの他には、満3歳時に京阪杯(GIII)、満5歳時に小倉記念(JpnIII)、満6歳時にオールカマー(GII)、そして満7歳時に2回目の小倉記念を制しました。
競走馬がもっとも充実するという4歳時に重賞を勝てなかったのは、なんとも惜しい感じです。4歳時に重賞を勝っていれば、ドウカンヤシマ(1980.3.24)と並ぶ「6年連続重賞制覇」という大偉業が達成できたのですけれど。なお、4歳時は北九州記念(JpnIII)2着、京阪杯(GIII)2着、京都大賞典(GII)3着、小倉記念3着が重賞の複勝圏内でした。あぁ、京都大賞典3着の折は前にテイエムオペラオー(1996.3.13)とナリタトップロード(1996.4.4)がいましたねぇ。抗うトップロードを、外から「余裕しゃくしゃく」でアタマだけねじ伏せたオペラオー。ロサード、相手が悪うございました(^^;)
*
ロサードは、関西テレビの競馬中継「ドリーム競馬」の司会だった宮川一郎太さんが出資されていた馬でもありました。また、その馬名は関西テレビの馬場鉄志アナウンサーが名付け親だったように記憶しています。
ついでに記憶の糸を辿ると、ロサードとコウエイロマンの両馬が同日東西重賞制覇を遂げたことを受けて、月刊優駿の連載記事「杉本清の競馬談義」に橋口調教師がゲストで招かれていました。誌上でロサードの走る姿を評して、橋口師曰く「身体は小さいけれどダンスインザダークに似ている(大意)」とおっしゃっていたように思います。橋口師がゲストの回は1998年の10月号だったでしょうか。1994年1月号の誌面刷新以後、競馬談義のコーナーはカラー記事なのに、ナリタブライアン(1991.5.3)の夭折記事にカラー誌面を取られてしまったのか、モノクロの誌面だったことが印象に残っています(←アホ・^^;)
最後は余談となってしまいましたけれど、今日はこのへんで♪