既に先週のお話しですが……。
朝日杯勝ち馬マイネルマックスが死亡(netkeiba.com)
(市)マイネルマックス 牡 鹿毛 1994.4.13生~2008.8.25没 静内・サンコウ牧場生産 馬主・(株)サラブレッドクラブ・ラフィアン 栗東・中村均厩舎
★ ブライアンズタイム[A] 黒鹿毛 1985.5.28 種付け時活性値:0.00 |
Roberto 鹿毛 1969.3.16 |
Hail to Reason 黒鹿毛 1958.4.18 |
Turn-to 1951 |
Nothirdchance 1948 | |||
Bramalea 黒鹿毛 1959.4.12 |
Nashua 1952.4.14 | ||
Rarelea 1949 | |||
Kelley’s Day 鹿毛 1977.5.11 |
Graustark 栗毛 1963.4.7 |
Ribot 1952.2.27 | |
Flower Bowl 1952 | |||
Golden Trail 黒鹿毛 1958.3.5 |
Hasty Road 1951 | ||
Sunny Vale 1946 | |||
サクセスウーマン 青毛 1986.3.26 仔受胎時活性値:1.75 |
ハイセイコー[C] 黒鹿毛 1970.3.6 種付け時活性値:1.75 |
★チャイナロック 栃栗毛 1953 |
Rockefella 1941 |
May Wong 1934 | |||
ハイユウ 黒鹿毛 1961.4.1 |
カリム 1953 | ||
ダルモーガン 1950.8.12 | |||
ヤマノセーハ 栗毛 1980.4.4 仔受胎時活性値:1.25 |
ダンディルート[E] 鹿毛 1972.5.10 種付け時活性値:1.75 |
Luthier 1965 | |
Dentrelic 1965 | |||
トリーソング 青毛 1961 仔受胎時活性値:0.50 |
Buisson Ardent[D] 栗毛 1953 種付け時活性値:1.75 |
||
Welsh Crest 鹿毛 1956 仔受胎時活性値:1.00 |
<5代血統表内のクロス:なし>
形相の遺伝 | 料の遺伝 | 牝系 | 何番仔? |
---|---|---|---|
ハイセイコー (Apelle) |
4.50 |
近親インターシュプール (No.9-H) |
4番仔 (4連産目) |
佐藤哲三騎手のジーワン初勝利のお相手。朝日杯の勝利は佐藤騎手の結婚披露宴の前日だったということで、気合が入られた様子。函館3歳S(現函館2歳S、JpnIII)1着、京成杯3歳S(現京王杯2歳S、JpnII)1着、朝日杯3歳S(現朝日杯FS、JpnI)1着。1200mのジースリー、1400mのジーツー、1600mのジーワン。ホップ、ステップ、ジャンプでの戴冠でした。
また、マイネルマックスの朝日杯制覇はラフィアン軍団の、記念すべき初ジーワンでもありました。それは、1988年の菊花賞(現JpnI)における「マイネルフリッセ事件」から8年の歳月を掛けて、ラフィアン総帥・岡田繁幸氏と中村均調教師の手と手が重なり直した瞬間でもありました。
*
満年齢3歳春に熱発でローテーションが狂ってから、マイネルマックスの苦難の道のりが始まりました。勝てぬどころか掲示板にも載ることができないレースが多かったものの、それでも5歳冬にクリスマスS(OP)を制して朝日杯以来3年振りの勝利を収め、明けて6歳春。18頭立ての8番人気で挑んだ2000年の第31回マイラーズC(GII)。相棒の佐藤騎手を背にしたマイネルマックスは3年4ヶ月ぶりの重賞制覇を遂げました。2歳王者、往時の輝きを少しだけ取り戻したレース振りでした。
マイネルマックスの最大限のチカラは、残念ながら3歳春の熱発以後は見られなかったように思います。無事であれば、もうひとつくらいはジーワンを勝ってもおかしくなかった。2歳時に見せた勝負に行っての強さ、僅差を凌ぐ根性。けれど、一度気持ちと身体の歯車がかみ合わなくなれば、なかなかに、戻らぬもの。
サラブレッドという生き物の難しさを改めて教えてくれた、印象に残る大切な一頭でした。いまは、ただただ安らかに。14年の生涯お疲れ様でした、マイネルマックス。合掌。
ではでは、今日はこのへんで。