目の前で最後に見たGIレースがいつだったろうかと、思わず振り返ってしまいました。思い返すと、長い間、GIレースの行われている競馬場に足を運んでいなかったんですね。私が最後にライヴで見たGIレース。それは6年前、1999年の菊花賞(GI)でした。勝ち馬は、ナリタトップロード(1996.4.4)。
その、ナリタトップロードが逝ってしまいました。死因は急性心不全。享年9歳。男盛りの、早すぎる死。
1999年11月7日、菊花賞当日。ゴール板前に陣取った私。握り締めていた馬券は、ナリタトップロードの単勝でした。最後の直線、「ワタナベー、ワタナベー!!」と何度も叫びました。テイエムオペラオー(1996.3.13)を「クビ」差しのいだその姿を見て、私は改めて「ワタナベー、ワタナベー!!」と叫びました。周りにいた人たちは、馬券を取られた方ばかりではないはずなのに、同じように喜んでくれました。ゴール板前は笑顔があふれていました。あの菊花賞ほど、勝ち馬と騎手が祝福に包まれたGIレースは、他に無いと思います。
いま、気付くと、ナリタトップロード。その菊花賞からちょうど丸6年経った、2005年11月7日に天に召されました。
神様は、時に、意地悪な気まぐれを起こすものなのですね。渡辺薫彦騎手は、この11月7日という日が巡る度に、ナリタトップロードの思い出を、すべて自身で受け止めなければならない。嬉しかったことも、悲しかったことも……。
「泣くまい」と思って見た、2001年の阪神大賞典(GII)のVTR。最後の直線、他馬を引き離して大写しになったナリタトップロードを見て、思わず感極まってしまいました。栗毛の流星、ステイヤーらしい胴長の体型、大きなストライドで駆けるその姿。芝3000mの世界レコードとなる3分2秒5、8馬身差の圧勝劇。ゴール後、軽やかなステップで駆ける栗毛馬と渡辺騎手。とても愛されていたそのコンビが、キラキラと輝いていた瞬間でした。
上手く言えないことばかりですけれど、今はただ、合掌。大好きだった馬、ナリタトップロード。さようなら、ナリタトップロード。
コメント
とにかく、3世代だけでも仔が残ったことが、なんと言いますか、ほんの少し慰めになる気がします。
人生の中で、感極まるシーンや対象をいくつか持ってる人は、幸せな人です。
すばらしい馬に出会えて、すばらしい時間を共有できたことに、ただただ感謝。
ナリタトップロード
9歳という若さで逝ってしまったナリタトップロードを追悼して、メルマガで特別追悼号を発行しました。僕なりの追悼の方法を考えたんですが、やはり在りし日のナリタトップロードのレース分析をズラッと並べるのが僕らしいかな、と。メルマガをご購読いただいている読者さまに……
追伸です
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初めまして♪
日記拝見させて頂きました。
すごい素敵な文章表現に感動です♪
トップロードのことを知りつくしてるというか、、
ついホロっときてしまいました(泣)
これからもみなさんの心の思い出として生き続けてほしいですよね。
ほんとに、生きてるものの死はつらいです。
◎blandford様
いつもありがとうございます。
なんだか、まだ上手く消化できていない感じがしますが、ひとつ思うのは、ナリタトップロードという馬は「本当に愛されていたのだな」と思います。WEBを散見して、そう思いました。
決して「最強」ではなかったナリタトップロード。けれど、彼はいつでも「ひたむき」でした。愚かしい真っ直ぐさをもって、世紀末王者に挑み続けたその姿に、人々は、きっと『こころ』を打たれたのでしょう。
そうでなければ、多くの人が悲しみの言葉を添えようとしませんよね。
◎aya様
わざわざのご投稿、ありがとうございます。初めまして、かろむわんと申します。以後、お見知りおきください。
私の書いたつたない文章に涙してくださったとは、恐れ入ります。改めて、私はナリタトップロードのことが大好きだったんだなぁと思いました。本当にとめどなく涙が出てきたのですから。
>生きてるものの死
生きとし生けるものの『いのち』なんて儚いものですね。でも、儚い故に尊いのでしょう。この世の中のすべてのもの。形あるものはすべて、いつか壊れてしまう。でも、壊れてしまうが故に尊いのでしょう。
ナリタトップロードは、御身をもって、私たちに対して、改めて気付かせてくれたのかもしれませんね。
「同じ時間を共有する」という、人と人とのつながりを作ってくれた馬、ナリタトップロード。あとは、遺児たちに夢を託して、また皆様と共に、素敵な時間を過ごしたいと思います。
ありがとう、ナリタトップロード。
以上、かろむわんでした。これから走る馬、人すべてがどうか無事でありますように。