今年2013年の春は、自分と同じ年に生まれた馬を誕生日順に辿ろうという企画でございます。その第9回は、桜花賞(GI)ウィークに似つかわしくもある、ハギノトップレディ。
ハギノトップレディ 牝 黒鹿毛 1977.4.4生~2003.11.22没 浦河・荻伏牧場生産 馬主・日隈広吉氏 栗東・伊藤修司厩舎
サンシー 黒鹿毛 1969.3.25 種付け時活性値:1.75 |
★ Sanctus 黒鹿毛 1960 |
Fine Top 黒鹿毛 1949 |
Fine Art 1939 |
Toupie 1943 | |||
Sanelta 鹿毛 1954 |
Tourment 1944 | ||
Satanella 1941 | |||
Wordys 栗毛 1957 |
Worden 栗毛 1949 |
★Wild Risk 1940 | |
Sans Tares 1939 | |||
Princesse d’Ys 鹿毛 1950 |
★Prince Bio 1941 | ||
Lacodis 1939 | |||
イットー 黒鹿毛 1971.4.19 仔受胎時活性値:1.25 |
ヴェンチア 黒鹿毛 1957 種付け時活性値:1.25 |
Relic 青毛 1945 |
War Relic 1938 |
Bridal Colors 1931 | |||
Rose o’Lynn 鹿毛 1944 |
Pherozshah 1934 | ||
Rocklyn 1937 | |||
ミスマルミチ 鹿毛 1965.4.13 仔受胎時活性値:1.25 |
ネヴァービート 栃栗毛 1960 種付け時活性値:1.00 |
★Never Say Die 1951 | |
Bride Elect 1952 | |||
キューピット 鹿毛 1957.2.28 仔受胎時活性値:1.75 |
Nearula 黒鹿毛 1950 種付け時活性値:1.50 |
||
マイリー 鹿毛 1953 仔受胎時活性値:0.75 |
<5代血統表内のクロス:Nasrullah5×5(母方)>
父 | 母父 | 祖母父 | 曾祖母父 |
---|---|---|---|
サンシー (Fine Top系) |
ヴェンチア (Man o’ War系) |
ネヴァービート (Nasrullah系) |
Nearula (Nasrullah系) |
形相の遺伝 | 料の遺伝 | 牝系 | 母の何番仔? |
サンシー | 5.00 |
華麗なる一族 (No.7-E マイリー系) |
初仔 |
*
着 順 |
馬 番 |
馬名 | 性齢 |
斤 量 |
騎手 |
走破 時計 |
着差 | 馬体重 | 調教師 |
人 気 |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
1 | 5 | ハギノトップレディ | 牝3 | 55 | 伊藤清章 | 1:36.2 | 456 | 伊藤修司 | 2 | |
2 | 16 | タマモコトブキ | 牝3 | 55 | 田島良保 | 1:36.4 | 1.1/4 | 446 | 吉永猛 | 7 |
3 | 17 | シャダイダンサー | 牝3 | 55 | 吉永正人 | 1:36.4 | ハナ | 444 | 松山吉三郎 | 4 |
4 | 11 | ラフオンテース | 牝3 | 55 | 岩元市三 | 1:36.5 | 3/4 | 400 | 布施正 | 1 |
5 | 6 | ヒロノタイフウ | 牝3 | 55 | 田島日出雄 | 1:36.7 | 1.1/4 | 428 | 松田由太郎 | 10 |
キャリア2戦、1勝馬の身で挑んだ桜花賞。血統馬が、最も華のあるGIとも言える桜花賞で、逃げ切り勝ちを収めました。3戦目での桜花賞勝利は、最少キャリア優勝記録として現在も残っています。
*
着 順 |
馬 番 |
馬名 | 性齢 |
斤 量 |
騎手 |
走破 時計 |
着差 | 馬体重 | 調教師 |
人 気 |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
1 | 18 | ハギノトップレディ | 牝3 | 55 | 伊藤清章 | 2:27.9 |
レース レコード |
454 | 伊藤修司 | 3 |
2 | 10 | タケノハッピー | 牝3 | 55 | 飯田明弘 | 2:28.0 | 3/4 | 470 | 尾形藤吉 | 2 |
3 | 15 | タマモコトブキ | 牝3 | 55 | 田島良保 | 2:28.2 | 1 | 460 | 吉永猛 | 12 |
4 | 14 | ジュウジアロー | 牝3 | 55 | 安田富男 | 2:28.4 | 1 | 426 | 加藤修甫 | 6 |
5 | 3 | ラフオンテース | 牝3 | 55 | 岩元市三 | 2:28.5 | 1/2 | 410 | 布施正 | 9 |
オークス(現GI)17着惨敗から2400mの距離は不適と思われたハギノトップレディ。けれど、不敵に逃げたハギノトップレディ、最後まで先頭を譲ることはありませんでした。距離を意識してかゆっくりした逃げだったものの、淀芝2400mで刻んだ2分27秒9は、前身のビクトリアカップ時代から通じても、レースレコードタイムでした。
*
「華麗なる一族」。私がこのフレーズを覚えたのは山崎豊子さんの作品ではなく、競馬が先でした。着想を得られた詩人の志摩直人さん、これは素晴らしい転用でした。
イットー 1971.4.19 中央7勝 高松宮杯(現高松宮記念、GI) スワンS(現GII) |ハギノトップレディ 1977.4.4 (本馬) 中央7勝 桜花賞(現GI) エリザベス女王杯(現GI) 高松宮杯 京都牝馬特別(現京都牝馬S) 巴賞(OP) ||ダイイチルビー 1987.4.15 中央6勝 安田記念(GI) スプリンターズS(GI) 京王杯SC(GII) 京都牝馬特別 |||ダイイチシガー 1994.6.4 中央2勝 4歳牝馬特別(現フローラS、GII)2着 オークス(GI)3着 クイーンC(GIII)3着 ||ウメノアスコット 1989.4.19 中央1勝 |||ウメノダンサー 1994.5.22 中央4勝 ||||サダムイダテン 2005.5.3 中央1勝 ラジオNIKKEI杯2歳S(GIII)2着 |||マイネルセレクト 1999.5.29 日UAE10勝 JBCスプリント(JpnI) 東京盃(JpnII) シリウスS(GIII) ガーネットS(旧GIII) 黒船賞(JpnIII) |ニッポーハヤテ 1978.4.24 中央7勝 安田記念(現GI)3着 |ハギノカムイオー 1979.4.1 中央8勝 宝塚記念(現GI) 高松宮杯 スワンS 京都新聞杯(現GII) 神戸新聞杯(現GII) スプリングS(現GII) |アイランドオリーブ 1984.3.28 地方1勝 ||オギトゥインクル 1988.5.5 中央1勝 |||オギブルービーナス 1993.5.8 中央2勝 ||||ブルーショットガン 1999.5.2 中央7勝 阪急杯(GIII) 函館SS(GIII)3着 |チュニカオー 1985.3.30 中央4勝 すばるS(OP) 阪神大賞典(GII)3着 |カムイイットー 1986.4.27 中央2勝 シンザン記念(GIII)3着 ||ドリームクロス 1994.4.27 中央0勝 |||エイムアットビップ 2005.2.26 中央2勝 ファンタジーS(GIII)2着 阪神JF(GI)3着
快速馬の系譜、ですね。なお、ハギノトップレディの半弟ハギノカムイオーは満34歳を迎えた現在も存命中です。黄金の馬は、もしかしたら、来年2014年の夏、シンザン(1961.4.2)の持つ軽種牡馬の長寿記録を塗り替えるかもしれないということで、競馬マスコミを再び賑わすことになるかもしれません。ハギノカムイオーとシンザンは1日違いの誕生日ですから、2014年7月13日を迎えることが出来たら、その時点で新記録となります。
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現年齢表記2歳の新馬戦で「2歳レコード」を出す馬は数あれど、「古馬も含めた日本レコード」を出せる馬というのは、そうそうお目に掛かれません。ハギノトップレディはデビューとなった1979年8月12日、函館芝1000mで「57秒2」という記録を打ち立てました。それは、それまでの芝1000mの日本レコードを0秒2上回る、空恐ろしい時計でした。その後、芝1000mの日本レコードは更新され続けています。けれど、JRAサイト内の「中央競馬レコードタイム 函館競馬場 -芝コース-」を確認すれば、34年を経ようとしている2013年の今を以て、サラブレッド系2歳のレコードタイムとして、ハギノトップレディの「57秒2」が燦然と輝いています。
その函館の地での戦いといえば、満4歳時の1981年8月2日の巴賞は、オールドファンの記憶に残るオープン特別として語られています。ハギノトップレディVSブロケード(1978.3.16)という、1歳違いの桜花賞馬どうしの名勝負。いつぞやの月刊「優駿」でも取り上げられていました。
よくぞ市井に映像が残っていたものだと感心しますが、それにも増して、ハギノトップレディの粘り腰に感心します。3角から4角、そして直線の走りは、胸が熱くなることしきり。ハギノトップレディ、牝馬ながら59kgを背負ってのレース、ぜひご覧ください。
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ハギノトップレディは、その豊かなスピードを次世代にも伝えたことにより、真の名花であることを知らしめました。天馬トウショウボーイ(1973.4.15)との間に生まれた愛娘ダイイチルビーは、安田記念、スプリンターズSと古馬牡牝混合GIを2勝。母のスピードを逃げから差しに転換したその様は、祖母の名の由来の通り、一刀両断の切れ味でした。グレード制が施行された後、多数の名牝が現れていますけれど、古馬牡牝混合GI2勝以上を挙げた馬は、ダイイチルビーが最初でした。
近年は、華麗なる一族の活躍が、1990年代初頭までに見られたような、華々しいものではない印象もあります。しかし、それでも、良いものは色褪せない。2004年にハギノトップレディの孫であるマイネルセレクトがJBCスプリントを制した折は、「サスガに華麗なる一族」と思わされたものです。そしてまた、上述した半弟ハギノカムイオーの存命についても、牝系の持つエネルギーの確かさを思わされるものです。
華麗なる一族の牝系祖マイリー(1953)が日本に渡来してから半世紀以上経ちますが、小岩井牝系や御料牝系と同じように、これからも活躍馬を送り続けて欲しいと願い、その本流とも言えるハギノトップレディの子孫たちに期待して、この記事の結びと致します。
では、以上オオハシでした。これから走る馬、人すべてが無事でありますように。