私も案外長いこと競馬を見ていることに気付いてしまいました。現3歳の2009年生まれ世代で都合20世代のクラシックを見ることになります。そりゃ、ピチピチの10代やったのに、30代半ばに差し掛かりますわ(笑)
そんな訳で、初めて意識をして見たクラシック世代である、1990年生まれ世代のGI勝ち馬たちを辿ってみたいと思います。
紹介する順番の関係上、彼をこの日に持ってこざるを得なかった。という訳で、満22歳の誕生日おめでとうございます、「最強の兄貴」。
ビワハヤヒデ 牡 芦毛 1990.3.10生 福島・早田牧場新冠支場生産 馬主・(有)ビワ 栗東・浜田光正厩舎
シャルード 芦毛 1983.4.15 種付け時活性値:1.50 |
Caro 芦毛 1967.4.11 |
フォルティノ 芦毛 1959.4.19 |
Grey Sovereign 1948 |
Ranavalo 1954 | |||
Chambord 栗毛 1955 |
Chamossaire 1942 | ||
Life Hill 1940 | |||
Angel Island 黒鹿毛 1976.5.4 |
Cougar 黒鹿毛 1966 |
Tale of Two Cities 1951 | |
Cindy Lou 1955 | |||
Who’s to Know 黒鹿毛 1970.4.16 |
Fleet Nasrullah 1955.5.8 | ||
Masked Lady 1964.4.30 | |||
パシフィカス 鹿毛 1981.5.29 仔受胎時活性値:2.00 |
Northern Dancer 鹿毛 1961.5.27 種付け時活性値:0.75 |
Nearctic 黒鹿毛 1954.2.11 |
Nearco 1935.1.24 |
Lady Angela 1944 | |||
Natalma 鹿毛 1957.3.26 |
Native Dancer 1950.3.27 | ||
Almahmoud 1947 | |||
Pacific Princess 鹿毛 1973.5.10 仔受胎時活性値:1.75 |
★Damascus 鹿毛 1964.4.14 種付け時活性値:0.00 |
Sword Dancer 1956.4.24 | |
Kerala 1958.5.12 | |||
Fiji 栗毛 1960 仔受胎時活性値:1.00 |
Acropolis 栗毛 1952 種付け時活性値:1.75 |
||
Rififi 栗毛 1954 仔受胎時活性値:1.25 |
<5代血統表内のクロス:Nasrullah5×5(父方)>
父 | 母父 | 祖母父 | 曾祖母父 |
---|---|---|---|
シャルード (フォルティノ系) |
Northern Dancer (Nearctic系) |
★Damascus (Teddy系) |
Acropolis (Blandford系) |
形相の遺伝 | 料の遺伝 | 牝系 | 母の何番仔? |
Acropolis (パシフィカス) |
6.00 |
半弟ナリタブライアン (No.13-a) |
4番仔 (3連産目) |
*
着 順 |
馬 番 |
馬名 | 性齢 |
斤 量 |
騎手 |
走破 時計 |
着差 |
上り 3F |
馬体重 [前走比] |
調教師 |
人 気 |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
1 | 7 | ビワハヤヒデ | 牡3 | 57 | 岡部幸雄 | 3:04.7 | レコード | 34.5 |
480 [+2] |
浜田光正 | 1 |
2 | 15 | ステージチャンプ | 牡3 | 57 | 南井克巳 | 3:05.6 | 5 | 35.3 |
448 [0] |
矢野進 | 9 |
3 | 9 | ウイニングチケット | 牡3 | 57 | 柴田政人 | 3:05.7 | 1/2 | 35.3 |
470 [+4] |
伊藤雄二 | 2 |
4 | 11 | キングファラオ | 牡3 | 57 | 上村洋行 | 3:05.9 | 1.1/2 | 35.5 |
450 [+12] |
清水出美 | 11 |
5 | 17 | タマモハイウェイ | 牡3 | 57 | 土肥幸広 | 3:06.1 | 1.1/2 | 35.8 |
468 [+6] |
吉永忍 | 13 |
満2歳冬の朝日杯3歳S(現朝日杯FS、GI)2着、明けて満3歳春の共同通信杯4歳S(現共同通信杯、GIII)2着、皐月賞(GI)2着、日本ダービー(GI)2着。つぶさに見れば、敗れたレースでも、ビワハヤヒデは最後の最後までしぶとく伸びています。交わされた後でも、差し返す姿が見えます。本当に一所懸命に走る馬でした。
新馬戦1秒7差の大差圧勝、もみじS(OP)1分34秒3、デイリー杯3歳S(現デイリー杯2歳S、GII)1分21秒7の連続レコード勝ちと、デビュー時の3連勝のインパクトが大きく、朝日杯の敗戦以降は早熟のマイラー説も流れたビワハヤヒデ。けれど、そんな世評をあざ笑うかのように、満3歳夏における栗東での猛稽古により、ついに真価を発揮したのは素面を見せた満3歳秋。
前哨戦である神戸新聞杯(GII)を完勝して単勝2.4倍の1番人気に推されたビワハヤヒデ。前週の天皇賞・秋(GI)の調教後に故障が発覚したメジロマックイーン(1987.4.3)の後を引き継ぐかのように、同じ芦毛の偉大な先輩の後を追うかのように、5馬身差の圧勝を以て菊花賞を勝利しました。その勝ち時計3分4秒7は菊花賞レコード。また、前々年のレオダーバン(1988.4.25)、前年のライスシャワー(1989.3.5)に続いて日本ダービーの2着馬が3年連続で菊花賞を制しました。
なお、ビワハヤヒデが菊花賞を制したのは1993年11月7日です。そしてまた前年、1992年11月7日にはデイリー杯3歳Sを制しています。浪花節的なお話になりますが、この11月7日は、ビワハヤヒデの担当厩務員だった荷方末盛さんのお誕生日。情に厚い馬ビワハヤヒデ、自分を大切に想ってくれる人の為に、2年連続で素敵なプレゼントを贈りました。
*
着 順 |
馬 番 |
馬名 | 性齢 |
斤 量 |
騎手 |
走破 時計 |
着差 |
上り 3F |
馬体重 [前走比] |
調教師 |
人 気 |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
1 | 11 | ビワハヤヒデ | 牡4 | 58 | 岡部幸雄 | 3:22.6 | 36.5 |
476 [-2] |
浜田光正 | 1 | |
2 | 6 | ナリタタイシン | 牡4 | 58 | 武豊 | 3:22.8 | 1.1/4 | 36.1 |
442 [-4] |
大久保正陽 | 2 |
3 | 5 | ムッシュシェクル | 牡6 | 58 | 藤田伸二 | 3:23.2 | 2.1/2 | 36.9 |
472 [-2] |
小林稔 | 3 |
4 | 4 | ナイスネイチャ | 牡6 | 58 | 松永昌博 | 3:23.3 | クビ | 36.5 |
500 [-2] |
松永善晴 | 7 |
5 | 7 | マチカネタンホイザ | 牡5 | 58 | 柴田善臣 | 3:23.3 | クビ | 36.8 |
492 [+2] |
伊藤雄二 | 5 |
5 | 9 | ステージチャンプ | 牡4 | 58 | 南井克巳 | 3:23.3 | 同着 | 36.9 |
450 [-2] |
矢野進 | 4 |
ニチドウタロー(1976.3.20が3分18秒7という当時の日本レコードで制したレース以来、15年ぶりに阪神芝3200mで行われた天皇賞・春。最後の直線、同期の皐月賞馬が襲い掛かって来るやいなや、もういちど脚を伸ばして突き放しました。弟ナリタブライアン(1991.5.3)が前週の皐月賞でコースレコード勝ちを収めた翌週のこと。サスガに兄貴も強かった。
*
着 順 |
馬 番 |
馬名 | 性齢 |
斤 量 |
騎手 |
走破 時計 |
着差 |
上り 3F |
馬体重 [前走比] |
調教師 |
人 気 |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
1 | 13 | ビワハヤヒデ | 牡4 | 56 | 岡部幸雄 | 2:11.2 |
日本 レコード |
35.0 |
474 [-2] |
浜田光正 | 1 |
2 | 8 | アイルトンシンボリ | 牡5 | 57 | 藤田伸二 | 2:12.0 | 5 | 35.6 |
492 [-4] |
畠山重則 | 8 |
3 | 5 | ダンシングサーパス | 牡4 | 56 | 熊沢重文 | 2:12.2 | 1.1/4 | 35.6 |
466 [-6] |
内藤繁春 | 6 |
4 | 2 | ナイスネイチャ | 牡6 | 56 | 松永昌博 | 2:12.4 | 1 | 35.6 |
494 [-6] |
松永善晴 | 3 |
5 | 6 | ネーハイシーザー | 牡4 | 56 | 塩村克己 | 2:12.6 | 1.1/2 | 36.3 |
496 [-4] |
布施正 | 2 |
関西テレビの杉本清アナウンサーに「今日も涼しい顔をしたまま」と言わしめて、楽々と勝ったビワハヤヒデ。弟ナリタブライアンの日本ダービー制覇を受けて、兄貴は日本レコードで宝塚記念を勝ち、GI3勝目となりました。1994年前期の2000m以上の牡牝混合GIを、2頭で全部かっさらって行ったことになります。レースの2着には「アイルトンセナ、いや、アイルトンシンボリ」のアイルトンシンボリ(1989.5.1)でした。
*
ビワハヤヒデは、浜田光正調教師、荷方末盛厩務員、岡部幸雄騎手のそれぞれの「愛」に応える形で、自身の内に秘めたる「才能」を徐々に具現化していきました。花開いてからは、まぁ、呆れるほどに強かった。素質だけで走ってGIレースで僅差の勝負ができる馬が真に強くなった時。「馬に実が入った」という事を、彼から学びました。
1400mから3000mまでの幅広い距離でレコード4回。通算16戦10勝、2着5回。オールマイティーな強さと速さと、稀に見る安定性を併せ持った、「最強の兄貴」というのが、彼の真の姿。
満3歳春以降の主戦であった岡部騎手の言を引いておくと、
「いつも自分から積極的に競馬をして、勝ちに行こうとした。ペースの速い、遅いに関係なく、自ら出て行く。そして最後まで手抜きをしない。いま、こういう馬はなかなかいないですよ。すごい名馬だと思いますね」
-月刊「優駿」、2002年11月号、P59より引用。-
本当に「一所懸命に走る馬」というイメージが、ただただ、残っています。白面の王者、ビワハヤヒデ。いつまでも元気で。
では、以上オオハシでした。これから走る馬、人すべてが無事でありますように。
<Web Resource>
コメント
ご存じかと思いますが、今、Gallop誌の「名馬は一日にして成らず」で連載されています(もっとも、小生は、この連載の第1回目の早田光一郎さんの記事に惹かれて、ビワハヤヒデの連載とは知らずに読み始めたのですが…)。
◎ゴリ様
わざわざのコメント、誠に有り難うございました。
現在、私は競馬雑誌を一冊も購入しておりませんので、Gallop誌の連載は
とんと存じ上げませんでした。
ただ、早田光一郎氏のインタビューを交えた記事が掲載されたというのは
WEBでチラッと話題になっていたので、知っていましたが……。
ともあれ、ビワハヤヒデは元気に余生を過ごしてほしいものです。
オオハシ様
お返事ありがとうございます。
早田氏は、出所後、息子さんの経営する動物病院で獣医さんをされている、ということでした。
氏の血統についての考えを少しでも知ることができれば、と思ったんですが、そのような記事は全くなかったです。
連載では、「栗東での猛稽古」にも触れられていて、ビワハヤヒデが坂路のスタート地点で、もう走りたくないという
しぐさを見せた、というのが印象的でした。
◎ゴリ様
いつもお世話になっております。
早田光一郎氏の血統に対してのアプローチは「アウトブリードを重視」と
かつての優駿でのインタビュー等で見た記憶があります。
最高傑作のナリタブライアンは確かに5代アウトクロスの配合馬でした。
ビワハヤヒデの「栗東での猛稽古」で見せた、いやいやの仕草に関しては、
中島氏の「0の理論」にも記述がありますね。いかな料的遺伝値の強大な
彼でも、過剰な稽古は辛かったのでしょう。
ではでは、わざわざのコメント、誠に有り難うございました。