ワンダーパヒューム 牝 鹿毛 1992.3.7生~1996.1.28没 浦河・信岡牧場生産 馬主・山本信行氏 栗東・領家政蔵厩舎
フォティテン 黒鹿毛 1984.2.22 種付け時活性値:1.75 |
Nureyev 鹿毛 1977.5.2 |
Northern Dancer 鹿毛 1961.5.27 |
Nearctic 1954.2.11 |
Natalma 1957.3.26 | |||
Special 鹿毛 1969.3.28 |
Forli 1963.8.10 | ||
Thong 1964.4.23 | |||
Dry Fly 鹿毛 1977.5.8 |
★Mill Reef 鹿毛 1968.2.23 |
Never Bend 1960.3.15 | |
Milan Mill 1962.2.10 | |||
Gay Missile 鹿毛 1967.3.27 |
Sir Gaylord 1959.2.12 | ||
Missy Baba 1958.5.13 | |||
ラブリースター 鹿毛 1979.5.3 仔受胎時活性値:1.00 |
トウショウボーイ 鹿毛 1973.4.15 種付け時活性値:1.25 |
テスコボーイ 黒鹿毛 1963 |
Princely Gift 1951 |
Suncourt 1952 | |||
ソシアルバターフライ 鹿毛 1957.4.13 |
Your Host 1947 | ||
Wisteria 1948 | |||
グッドサファイア 鹿毛 1971.3.14 仔受胎時活性値:1.75 |
ロムルス 鹿毛 1959 種付け時活性値:0.75 |
Ribot 1952.2.27 | |
Arietta 1953 | |||
クラックリュウ 鹿毛 1958.4.11 仔受胎時活性値:1.00 |
ヒンドスタン 黒鹿毛 1946 種付け時活性値:0.75 |
||
フレーミングフアイア 栗毛 1946 仔受胎時活性値:0.75 |
<5代血統表内のクロス:Nasrullah5×5>
父 | 母父 | 祖母父 | 曾祖母父 |
---|---|---|---|
フォティテン (Nureyev系) |
トウショウボーイ (Princely Gift系) |
ロムルス (Ribot系) |
ヒンドスタン (Bois Roussel系) |
形相の遺伝 | 料の遺伝 | 牝系 | 母の何番仔? |
フォティテン (Dry Fly) |
4.50 |
母が重賞2勝馬 (No.10-a フレーミングフアイア系) |
5番仔 (2連産目) |
*
着 順 |
馬 番 |
馬名 | 性齢 |
斤 量 |
騎手 |
走破 時計 |
着差 |
上り 3F |
馬体重 [前走比] |
調教師 |
人 気 |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
1 | 18 | ワンダーパヒューム | 牝3 | 55 | 田原成貴 | 1:34.4 | 35.8 |
472 [+2] |
領家政蔵 | 7 | |
2 | 17 | ダンスパートナー | 牝3 | 55 | 武豊 | 1:34.4 | クビ | 35.3 |
424 [+2] |
白井寿昭 | 3 |
3 | 13 | プライムステージ | 牝3 | 55 | 岡部幸雄 | 1:34.4 | アタマ | 35.6 |
420 [-4] |
伊藤雄二 | 2 |
4 | 6 | ライデンリーダー | 牝3 | 55 | 安藤勝己 | 1:34.7 | 1.3/4 | 35.7 |
448 [0] |
荒川友司 | 1 |
5 | 11 | ユウキビバーチェ | 牝3 | 55 | 松永幹夫 | 1:34.9 | 1.1/4 | 36.1 |
462 [+6] |
新井仁 | 4 |
1995年の桜花賞は、その年の1月17日に起きた阪神大震災により京都競馬場で行われました。薄曇り、雨中の決戦となったレースは、桃色の覆面をつけた7番人気の1勝馬ワンダーパヒュームが、桃色の帽子と「桃、白菱山形」の勝負服を身にまとったテン乗りの田原成貴騎手を鞍上に、しぶとい差し脚を見せて桜の女王となりました。1勝馬の桜花賞勝利は「新馬戦で日本レコード」ハギノトップレディ(1977.4.4)以来15年ぶり、JRA史上2頭目でした。ワンダーパヒュームの鞍上田原騎手はダイアナソロン(1981.3.18)、マックスビューティ(1984.5.3)についで桜花賞3勝目。管理された領家政蔵調教師にとってはGI初制覇でした。オーナーの山本信行氏は1972年のアチーブスター(1969.4.15)以来となる桜花賞2勝目。生産者は浦河・信岡牧場。開場35年目のクラシック初制覇でした。また、藤井美津子厩務員は女性2人目の「GI馬の厩務員」となられました。
母ラブリースターはその父トウショウボーイの初年度産駒となり、金鯱賞(現GII)、北九州記念(現GIII)など6勝を挙げました。母の所属も同じく領家厩舎で、主戦騎手も同じく田原騎手でした。実は領家厩舎にとっては、ラブリースターの北九州記念以来12年ぶりのJRA重賞勝ちが、ワンダーパヒュームの桜花賞なのでした。ラブリースターにとってワンダーパヒュームは5番仔となり、後に9番仔としてスプリングS(GII)の勝ち馬にしてワンダーパヒュームの全弟となるワンダーファング(1996.3.11)も輩出しました。
*
ワンダーパヒュームは、桜花賞の後のオークス(GI)を「何故か7番人気」で3着、秋に入りローズS(GII)を4着、母が3着したエリザベス女王杯(GI)を16着惨敗、暮れの阪神牝馬特別(現阪神牝馬S、GII)は10着と精彩を欠きました。そして、明けた1996年の緒戦として選んだ京都牝馬特別(現京都牝馬S、GIII)。
その前週に京都競馬場へ行った私は、ワンダーパヒュームのぬいぐるみを買って帰りました。「桜の女王、もうひと花咲かせて」とハッパをかける意味もこめて、桃色の覆面を付けたワンダーパヒュームのぬいぐるみを買って帰りました。
淀の芝外回り1600m。桜の女王の栄光をつかんだ第3コーナーの坂越え芝1600m。その思い出のコースが、彼女の馬生の幕引きの舞台になってしまうとは。TVでレースを観戦していた私は、第3コーナーで競走を中止した彼女の立ち姿を見て、「しっかり立ってるから、大丈夫やろう」と思っていたのです。
けれど。
翌日のスポーツ新聞を見ると、信じられない文字が記されていました。「ワンダーパヒューム、安楽死」。第55代桜花賞馬の生涯は、わずかに満3年と10ヶ月を以て閉じられてしまったのでした。
咲いては散り行く花の命。短い命だからこそ、美しく見えるのでしょう。儚い命だからこそ、尊く感じるのでしょう。わかっています。でも、別れて行くには早すぎたよ、ワンダーパヒューム。今度は新しい樹となって、次代の花を産み出していくはずだったのに。だけど、それは叶わぬ夢。わかっています。
だから。
あなたのこと、一生忘れないようにします。
では、以上オオハシでした。これから走る馬、人すべてが無事でありますように。