ジャパンカップ(GI)の30年を辿る(其の七)。

ふと、ジャパンカップ(GI)の過去30回について、勝ち馬を中心に辿ってみようと思いました。その7回目は第19回から第21回。

スペシャルウィーク 牡 黒鹿毛 1995.5.2生 門別・日高大洋牧場生産 馬主・臼田弘義氏 栗東・白井寿昭厩舎

スペシャルウィーク(1995.5.2)の4代血統表

サンデーサイレンス
青鹿毛 1986.3.25
種付け時活性値:0.00

Halo
黒鹿毛 1969.2.7
Hail to Reason
黒鹿毛 1958.4.18
Turn-to 1951
Nothirdchance 1948
Cosmah
鹿毛 1953.4.4
★Cosmic Bomb 1944
Almahmoud 1947 ♀
Wishing Well
鹿毛 1975.4.12
Understanding
栗毛 1963.2.17
★Promised Land 1954.3.31
Pretty Ways 1953.3.21
Mountain Flower
鹿毛 1964.3.23
Montparnasse 1956
Edelweiss 1959.2.15
キャンペンガール
鹿毛 1987.4.19
仔受胎時活性値:1.75
マルゼンスキー
鹿毛 1974.5.19
種付け時活性値:1.00
Nijinsky
鹿毛 1967.2.21
Northern Dancer 1961.5.27
Flaming Page 1959.4.24
シル
鹿毛 1970.4.22
Buckpasser 1963.4.28
Quill 1956.2.24
レディーシラオキ
鹿毛 1978.4.3
仔受胎時活性値:2.00(0.00)
セントクレスピン
栗毛 1956
種付け時活性値:1.25
Aureole 1950
Neocracy 1944
ミスアシヤガワ
鹿毛 1964.5.24
仔受胎時活性値:1.25
ヒンドスタン
鹿毛 1946
種付け時活性値:0.25
シラオキ
栗毛 1946.4.7
仔受胎時活性値:0.25

<5代血統表内のクロス:Harina(♀)=プリメロ5×5(母方)>

スペシャルウィーク(1995.5.2)の中島理論的総括
母父 祖母父 曾祖母父
サンデーサイレンス
(Halo系)
マルゼンスキー
(Nijinsky系)
セントクレスピン
(Aureole系)
ヒンドスタン
(Bois Roussel系)
形相の遺伝 料の遺伝 牝系 何番仔?
セントクレスピン
(Angelola)
5.25 or 3.25 日本の誇るシラオキ系
(No.3-L フロリースカップ系)
5番仔
(5連産目)
第19回ジャパンカップ(GI)の結果(上位5頭。馬齢は現年齢表記に合わせる)


馬名 性齢
騎手 走破
時計
着差 上り
3F
馬体重
[前走比]
調教師
1 13 スペシャルウィーク 牡4 57 武豊 2:25.5    35.9 468
[-2]
白井寿昭 2
2 7 インディジェナス せん6 57 D.ホワイト 2:25.7 1.1/2 36.2 456
[不明]
I.アラン 12
3 12 ハイライズ 牡4 57 L.デットーリ 2:25.7 ハナ 36.2 446
[不明]
S.ビン・スルール 7
4 14 モンジュー 牡3 55 M.キネーン 2:25.8 3/4 36.0 484
[不明]
J.ハモンド 1
5 6 ラスカルスズカ 牡3 55 柴田善臣 2:26.5 4 36.7 474
[-4]
橋田満 4

1999年の第19回。その年の凱旋門賞(GI)でエルコンドルパサー(1995.3.17)を半馬身負かしたモンジュー(1996.4.4)が1番人気。けれども、府中の舞台ならば、スペシャルウィーク。自身前年3着の借りを返すべく、直線、馬場中央を堂々と抜け出して、快勝。夕映えのターフに、橙の帽子と「紫、白鋸歯形」の勝負服、そして黒鹿毛の流星が弾みました。

スペシャルウィークの鞍上であった武豊騎手にとっても初めてのジャパンカップ制覇。スペシャルウィークは、ユタカさんに日本ダービーとジャパンカップ、2つの大レースの初勝利をプレゼントした馬でした。武豊TVで「あの馬はホントに強かった」と、しみじみとおっしゃっていたので、やっぱり強かったのでしょう。そしてまた、「大好きな馬でした」 ともおっしゃっていました。

このジャパンカップでは位置取り云々よりも折り合いに専念されたそうな。向こう正面、道中のユタカさんの手綱をよくよくご覧頂くと「ぶらーん」とした状態になっています。ユタカさん曰く「この状態になると、この馬は強いんですよ」とのこと。リラックスして走れていて「あぁ、良いなぁ。こうなると、この馬は強いから」と思われたそうです。で、直線は後ろから凱旋門賞馬が追ってくるのは分かっていても、大丈夫、大丈夫。日本総大将、見事な勝ちっぷりでした。

スペシャルウィーク。私も、数多いるSS産駒のGI馬の中では、1番好きな馬でした。どこが好きだったかというと、彼は王者でありながら、挑戦者でもあったところだと思います。

立ち向かう相手がいたのは、しんどくはありますが、幸せなことだったのではないでしょうか。

*

テイエムオペラオー 牡 栗毛 1996.3.13生 浦河・杵臼牧場生産 馬主・竹園正繼氏 栗東・岩元市三厩舎

テイエムオペラオー(1996.3.13)の4代血統表
オペラハウス
鹿毛 1988.2.24
種付け時活性値:1.75
Sadler’s Wells
鹿毛 1981.4.11
Northern Dancer
鹿毛 1961.5.27
Nearctic 1954.2.11
Natalma 1957.3.26
Fairy Bridge
鹿毛 1975.5.4
Bold Reason 1968.4.8
Special 1969.3.28
Colorspin
鹿毛 1983.3.16
High Top
黒鹿毛 1969
Derring-Do 1961
Camenae 1961
Reprocolor
栗毛 1976.5.14
Jimmy Reppin 1965
Blue Queen 1967
ワンスウェド
栗毛 1984.3.18
仔受胎時活性値:0.75
Blushing Groom
栗毛 1974
種付け時活性値:0.25
Red God
栗毛 1954.2.15
Nasrullah 1940.3.2
Spring Run 1948
Runaway Bride
鹿毛 1962
Wild Risk 1940
Aimee 1957
Noura
黒鹿毛 1978.3.25
仔受胎時活性値:1.25
Key to the Kingdom
黒鹿毛 1970.3.12
種付け時活性値:1.75
Bold Ruler 1954.4.6
Key Bridge 1959.4.10
River Guide
栗毛 1971.3.16
仔受胎時活性値:1.50
Drone
芦毛 1966.4.1
種付け時活性値:1.00
Blue Canoe
鹿毛 1958.4.13
仔受胎時活性値:1.00

<5代血統表内のクロス:Nearco5×5、Nasrullah4×5(母方)>

テイエムオペラオー(1996.3.13)の中島理論的総括
母父 祖母父 曾祖母父
オペラハウス
(Sadler’s Wells系)
Blushing Groom
(Red God系)
Key to the Kingdom
(Bold Ruler系)
Drone
(Sir Gaylord系)
形相の遺伝 料の遺伝 牝系 母の何番仔?
オペラハウス 4.50 半姉チャンネルフォー
(No.4-m)
7番仔
(不受胎後)
第20回ジャパンカップ(GI)の結果(上位5頭。馬齢は現年齢表記に合わせる)


馬名 性齢
騎手 走破
時計
着差 上り
3F
馬体重
[前走比]
調教師
1 8 テイエムオペラオー 牡4 57 和田竜二 2:26.1    35.2 476
[+4]
岩元市三 1
2 13 メイショウドトウ 牡4 57 安田康彦 2:26.1 クビ 35.4 504
[-4]
安田伊佐夫 5
3 10 ファンタスティックライト 牡4 57 L.デットーリ 2:26.1 ハナ 35.0 472
[不明]
S.ビン・スルール 2
4 1 エラアシーナ 牝4 55 O.ペリエ 2:26.4 1.3/4 35.4 482
[不明]
M.ジャービス 7
5 4 ダイワテキサス 牡7 57 蛯名正義 2:26.6 1.1/2 35.8 480
[0]
増沢末夫 15

2000年の第20回。第5回のシンボリルドルフ(1981.3.13)以来となる「1番人気の日本馬による勝利」。成し遂げたのは、ルドルフと同じ「3月13日生まれの母が不受胎後の仔」である、テイエムオペラオー。

デットーリ騎手曰く「Crazy strong!!」。かのフランキーにそう言わしめたからには、やっぱりアホほど強かった。

まずレースに出走すること。勝つための必要絶対条件を、骨折が癒えた後の満3歳初戦からから引退する満5歳の有馬記念(GI)まで、丸3年間もこなし続けたテイエムオペラオーとその陣営。馬も人も讃えられるべきです。

当たり前と思うことが一番難しい。その当たり前のことを、真に当たり前として、なおのこと勝利を重ね、覇王であり続けたテイエムオペラオー。彼は世紀末歌劇の主役を張り続け、脇役に回った馬たちもまた、いつでも当たり前のように、そこにいました。

栗毛に白い星ひとつ、中背中肉の馬体が跳ねて、テイエムオペラオー。悔しいが、強かった。特に2000年は、憎たらしいほどに、強かった。それ故に、このジャパンカップも忘れられません。

だからもう1回、私からも言ってやる。この「クレイジーストロング」め。なんやねん、その最後まで頑張ろうとする姿は。なんやねん、その決勝点で勝ち切ってしまう勝負根性は。恐れ入谷の鬼子母神もビックリやわ、ホンマに(^_^;)。

*

ジャングルポケット 牡 鹿毛 1998.5.7生 早来・ノーザンファーム生産 馬主・齊藤四方司氏 栗東・渡辺栄厩舎

ジャングルポケット(1998.5.7)の4代血統表
トニービン
鹿毛 1983.4.7
種付け時活性値:1.50
カンパラ
鹿毛 1976.2.19
Kalamoun
芦毛 1970.4.30
ゼダーン 1965
Khairunissa 1960
State Pension
鹿毛 1967
オンリーフォアライフ 1960
Lorelei 1950
Severn Bridge
栗毛 1965
Hornbeam
栗毛 1953
Hyperion 1930.4.18
Thicket 1947
Priddy Fair
鹿毛 1956
Preciptic 1942
Campanette 1948
ダンスチャーマー
黒鹿毛 1990.4.18
仔受胎時活性値:1.75
Nureyev
鹿毛 1977.5.2
種付け時活性値:1.00
Northern Dancer
鹿毛 1961.5.27
Nearctic 1954.2.11
Natalma 1957.3.26
Special
鹿毛 1969.3.28
Forli 1963.8.10
Thong 1964.4.23
Skillful Joy
栗毛 1979.4.8
仔受胎時活性値:0.50
Nodouble(USA)
栗毛 1965.3.4
種付け時活性値:1.25
Noholme(AUS) 1956.10.6
Abla-Jay 1955.4.3
Skillful Miss
鹿毛 1974.1.23
仔受胎時活性値:1.00
Daryl’s Joy(NZ)
青鹿毛 1966.9.1
種付け時活性値:1.625
Poliniss
鹿毛 1961.4.8
仔受胎時活性値:1.00

<5代血統表内のクロス:なし>

ジャングルポケット(1998.5.7)の中島理論的総括
母父 祖母父 曾祖母父
トニービン
(ゼダーン系)
Nureyev
(Northern Dancer系)
Nodouble
(Hyperion系)
Daryl’s Joy
(Hyperion系)
形相の遺伝 料の遺伝 牝系 母の何番仔?
Daryl’s Joy
(ダンスチャーマー)
4.25 祖母が米GII勝ち馬
(No.11-g)
4番仔
(4連産目)
第21回ジャパンカップ(GI)の結果(上位5頭)


馬名 性齢
騎手 走破
時計
着差 上り
3F
馬体重
[前走比]
調教師
1 6 ジャングルポケット 牡3 55 O.ペリエ 2:23.8    34.9 470
[0]
渡辺栄 2
2 4 テイエムオペラオー 牡5 57 和田竜二 2:23.8 クビ 35.1 480
[+10]
岩元市三 1
3 10 ナリタトップロード 牡5 57 渡辺薫彦 2:24.4 3.1/2 35.3 490
[-2]
沖芳夫 5
4 8 ステイゴールド 牡7 57 武豊 2:24.5 クビ 35.8 428
[0]
池江泰郎 4
5 1 メイショウドトウ 牡5 57 安田康彦 2:24.6 3/4 35.8 508
[-2]
安田伊佐夫 3

2001年の第21回。21世紀最初のジャパンカップ。象徴的なレースとなりました。↑の結果にもあるとおり、上位5番人気までを日本馬が占め、なおかつ5番人気馬までで掲示板を独占してしまいました。ある意味で、ジャパンカップがジャパンカップになり、ジャパンカップがジャパンカップでなくなったレース、とも言えるのではないでしょうか。

そんな第21回を勝ったのは、ジャングルポケット。逃げたティンボロア(1996.5.7)を向こう正面で後方から進出したトゥザヴィクトリー(1996.2.22)が交わすという、出入りの激しい乱ペースとなったこのレース。道中は中段やや後ろを進んだジャングルポケット、惑わされず落ち着いて走らせたのは、サスガに名手オリビエ・ペリエ。直線、先に抜け出したのは前年第20回の勝ち馬テイエムオペラオー(1996.3.13)。先行して息の入りが難しかったはずなのに、この強心臓馬は「さもありなん」と抜け出しにかかり、史上初となる同一競走馬によるジャパンカップ連覇を目指して、雄々しく馬場中央を駆けました。「すわっ、初めてのJRAGI8勝目が成されるのか!?」。そう思った瞬間、1頭だけ外から強襲を見せた鹿毛馬がいました。ジャングルポケット。フランスのトップジョッキーの左ムチに鼓舞されて、一歩一歩、詰め寄るようにして鋭伸。ゴールが近づくにつれ、前を行った栗毛馬との差は縮まって行き、最後の最後、本当に最後の最後で「クビ」だけ差し切ったところが決勝点でした。少しの差ではありましたが、差し切ったのは確か。ゴール後、ペリエ騎手が右手で握りこぶしを作った後、一本指を高々と挙げました。「日本産の3歳馬」として初めてジャパンカップ勝利を収めたジャングルポケットは、共同通信杯(GIII)、日本ダービー(GI)、そしてジャパンカップと東京芝3戦3勝。まさに府中の申し子。第8回でレース中の故障もあり5着に敗れた父トニービンの無念を晴らした、会心の勝利でした。

2着に敗れた防衛王者テイエムオペラオー。当年の秋1番とも言える強いレースぶりでしたが、若武者の差し脚にわずかに屈してしまいました。この世紀末覇王は、勝ったGIレースが「僅差」「時計が掛かった」「雨が降った」と、難癖を付けられたことにより、正当に評価をされなかった感があります。ジャングルポケット以外の馬を完全に引き離したこのレースが、テイエムオペラオーの強さを再認識させたことは、ともすれば、皮肉なことではありました。連戦連勝だった満4歳時、ハイペースの逃げ先行の我慢比べで勝利を収めていたら、彼の評価はもっと高まったのではないでしょうか。悲しいかな、多くのファンからすれば、シャッポを脱ぎ切れなかった。真の強者であったのに、見抜いてもらえなかった。ターフを去って10年、こうして振り返ってみて、ようやく、彼の偉大さが身に染みました。あんなに真摯な馬はそうそう現れません。本当に強かった。テイエムオペラオー。

  

では、以上オオハシでした。これから走る馬、人すべてが無事でありますように。

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