ネーハイシーザー 牡 黒鹿毛 1990.4.27生 浦河・大道牧場生産 馬主・(株)大丸企業 栗東・布施正厩舎
★ サクラトウコウ 鹿毛 1981.3.11 種付け時活性値:0.00 |
マルゼンスキー 鹿毛 1974.5.19 |
Nijinsky 1967.2.21 |
Northern Dancer 1961.5.27 |
Flaming Page 1959.4.24 | |||
シル 鹿毛 1970.4.22 |
Buckpasser 1963.4.28 | ||
Quill 1956 | |||
サクラセダン 鹿毛 1972.4.13 |
★セダン 鹿毛 1955.3.9 |
Prince Bio 1941 | |
Staffa 1948 | |||
スワンズウッドグローヴ 黒鹿毛 1960 |
Grey Sovereign 1948 | ||
Fakhry 1940 | |||
ネーハイテスコ 黒鹿毛 1980.4.20 種付け時活性値:0.25 |
★ テスコボーイ 黒鹿毛 1963 種付け時活性値:0.00 |
Princely Gift 鹿毛 1951 |
Nasrullah 1940.3.2 |
Blue Gem 1943 | |||
Suncourt 黒鹿毛 1952 |
Hyperion 1930.4.18 | ||
Inquisition 1936 | |||
マリリン 鹿毛 1968.5.3 種付け時活性値:0.75 |
パーソロン 鹿毛 1960 種付け時活性値:1.75 |
Milesian 1953 | |
Paleo 1953 | |||
ライフレントゲン 鹿毛 1959.3.15 種付け時活性値:2.00(0.00) |
ハタカゼ 栗毛 1947.5.12 種付け時活性値:0.75 |
||
エスパレード 黒鹿毛 1950.6.4 種付け時活性値:2.00 |
<5代血統表内のクロス:Nasrullah5×4>
形相の遺伝 | 料の遺伝 | 牝系 | 何番仔? |
---|---|---|---|
パーソロン (Loika) |
5.00 or 3.00 |
(No.6-A エスサーディー系) |
6番仔 (5連産目) |
着 順 |
馬 番 |
馬名 | 性齢 |
斤 量 |
騎手 |
走破 時計 |
着差 |
上り 3F |
馬体重 [前走比] |
調教師 |
人 気 |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
1 | 7 | ネーハイシーザー | 牡5 | 58 | 塩村克己 | 1:44.6 | 35.0 |
504 [+8] |
布施正 | 1 | |
2 | 1 | フジヤマケンザン | 牡7 | 57 | 蛯名正義 | 1:44.8 | 1 1/2 | 34.7 |
532 [-6] |
森秀行 | 9 |
3 | 3 | スターバレリーナ | 牝5 | 56 | 中舘英二 | 1:44.8 | クビ | 34.9 |
498 [+8] |
長浜博之 | 3 |
4 | 2 | サクラバクシンオー | 牡6 | 59 | 小島太 | 1:45.0 | 1 1/4 | 35.7 |
496 [-2] |
境勝太郎 | 4 |
5 | 5 | マチカネタンホイザ | 牡6 | 58 | 柴田善臣 | 1:45.0 | ハナ | 34.6 |
494 [+6] |
伊藤雄二 | 6 |
1F毎の ラップ |
12.9-11.2-11.0-11.0-11.4-11.8-11.8-11.7-11.8 |
上り | 4F 47.1-3F 35.3 |
「最もVTRを見直しているGII戦は?」と問われたならば、間違いなく「1994年の毎日王冠(GII)」と答えます。まま、繰り返し見ている要因は、逃げたサクラバクシンオー(1989.4.14)に対して引っ掛かりながら競り掛けるという暴走に出た馬のせいですが(^_^.)
ともあれ、先行3番手から抜け出した、クビ差しがたくましい黒鹿毛馬の姿は峻烈の極みでした。追い込んで来たフジヤマケンザン(1988.4.17)に1と2分の1馬身差でゴールした時。電光掲示板に表示されたタイムは圧巻の「1分44秒6」。芝1800mの日本レコードホルダー、自身が持っていた1分45秒2を0秒6塗り替える驚異的なレコードタイムでした。
現在の東京芝1800mのレコードタイムは、昨年2007年にチョウサン(2002.2.18)がやはり毎日王冠で計時した1分44秒2です。けれど、コース改修前は、結局1分44秒6を更新する馬は現れませんでした。かのサイレンススズカ(1994.5.1)でも、レースの状況は違うとはいえ、1998年の毎日王冠で計時した1分44秒9でした。
*
毎日王冠の後に天皇賞・秋(GI)を制してGI馬となったものの、結果的に、その天皇賞・秋が最後の勝利となったネーハイシーザー。引退時期を遅らせてしまったのが仇となったのか、種牡馬として、その快速を充分に次代に伝えたとは言い難いところはあります。
けれど、それでも初年度産駒の中から、巴賞(OP)を勝ち東京スポーツ杯3歳S(現東京スポーツ杯2歳S、JpnIII)では2着に入ったヒマラヤンブルー(1998.3.9)を出したのですから、なんとか面目を保ちました。父が強いところを見せた府中芝1800mで仔が重賞の連対を果たした時。「あぁ、父仔やなぁ」と思ったものでした。
すでに種牡馬を引退しているネーハイシーザー。現在は生まれ故郷の大道牧場で余生を送っているということ。穏やかで健やかに過ごして欲しいと願います。
ではでは、今日はこのへんで。
コメント
ネーハイシーザーと聞くと「サクラトウコウの0」が今でも
印象に残っていて、ちょうど中島御大の「血とコンプレッ
クス」を読んだときに活躍していたような…懐かしく思い
出しました。
マルゼンスキーの直系として、ガンバって欲しかったです >ネーハイシーザー、ヒマラヤンブルー
返す返すも残念・・・。
◎ご両名
折り返しが遅くなってしまい、恐れ入ります。
○ゴリ様
いつもお世話になっております。
>ネーハイシーザーと聞くと「サクラトウコウの0」
父、母父と0を重ねているので「あぁ、もしかしたらシーザーも中島御大の関与馬かな」と思ったものです(^_^.)
また、ネーハイシーザーは中島御大の配合馬であるタガジョーウルフの父でもありますね。
http://www.takayoshiohashi.net/nakajima/bb/nakajima/tw.shtml
ネーハイシーザー、私に0遺伝の強力さを教えてくれた馬でした。
◎104様
「はじめまして」かと存じます。オオハシと申します。以後お見知りおき頂ければ幸いです。
>マルゼンスキーの直系として、ガンバって欲しかったです >ネーハイシーザー、ヒマラヤンブルー
スーパーカーの直父系も途絶えてしまうのでしょうか。自国で世代を重ねた血を継承できない限りは、本当のグループ1国にはなれないのかもしれません。
マルゼンスキーだけではなく、ノーザンテーストやトウショウボーイ等も直父系として生き残っていけるのか微妙な感じです。なんとかビックリするような馬が出て来て欲しいのですが……。
ではでは、ご両名、わざわざのコメント、誠にありがとうございました♪