「富士S(GIII)」と聞くと、エアジハード(1995.4.9)を思う。

第18回ジャパンカップ(GI)の前日に行われた、施行距離1400mの第1回富士Sを制したのはその父サクラユタカオー(1982.4.29)の栗毛の産駒、エアジハードと橋本広喜騎手(現調教助手)でした。

翌1999年のJRA最優秀短距離馬にして最優秀内国産馬の初重賞制覇がこの富士S。2着のプレストシンボリ(1992.3.6)をクビ差抑えての勝利でした。

現年齢表記3歳秋で古馬を相手に重賞を勝利するのですから、その実力を推し量るのは容易。けれど、私を含めた多くの競馬ファンは、彼が現役だった当時、その実力を正当に評価できたのは、結果的に引退レースとなった1番人気で圧勝したマイルCS(GI)だけだったのかもしれません。

そんなエアジハード。厩舎に入る前の牧場における育成段階での評価は、我々が思う以上に高かったようです。最後に月刊「優駿」1999年9月号の記事を引いて、今日のログの終わりと致します。

「牧場にいる頃から、ダンスと比べても遜色の無い印象でしたよ。物凄い切れ味、という点で似ている馬を探せば、そうだなあ、やっぱりバブかなあ…、もちろんサンデーとユタカオーだからちょっとタイプは違うんですけどね」
 と語るのは、調教担当の東礼次郎氏である。「ダンス」は言うまでもなく菊花賞馬ダンスインザダークだし、「バブ」は4歳で秋の天皇賞を勝ったバブルガムフェローのことだ。

-月刊「優駿」1999年9月号、P45、「’99春GI勝ち馬の故郷」から引用-。

果たせるかな、安田記念(GI)では4番人気でグラスワンダー(1995.2.18)を打ち負かし、天皇賞・秋(GI)では5番人気で0秒2差の3着と踏ん張り、そして前述のマイルCSで1番人気1着となったのでした。

真に強いマイル王でしたよ、エアジハード。

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