「高松宮記念(GI)」と聞くと、キングヘイロー(1995.4.28)を思う。

レース後の、坂口正大調教師の号泣が印象に残っています。

でも、キングヘイローは断じてスプリンターではありません(笑)。

1800mの東京スポーツ杯3歳S(現東京スポーツ杯2歳S、GIII)を当時の2歳レコード勝ち、2000mの皐月賞(GI)でセイウンスカイ(1995.4.26)に0秒1差の2着、2200mの京都新聞杯(GII)でスペシャルウィーク(1995.5.2)とタイム差なしの2着、3000mの菊花賞(GI)を3番人気で5着(走破時計3分3秒9)、引退レースとなった2500mの有馬記念(GI)も出走メンバー中最速の上がり36秒0で4着に入っています。

長い距離でもこんなに頑張れる馬が、スプリンターであるものか(笑)。

中島理論的には、「直父系が有数値の飽和父系であることにより、競走で勝てる距離が短距離にシフトしていた」ということは言えると思います。

日本のハーレムにおける、血の飽和に翻弄された、世界的良血馬でした。

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