スポーツ新聞の競馬記事で、初めて意識して読んだ話題が、ダイタクヘリオスのマイルCS連覇でした。ニホンピロウイナー(1980.4.27)でも、ニッポーテイオー(1983.4.21)でも、オグリキャップ(1985.3.27)でも破ることができなかった京都芝外回り1600mのレコードタイム-ダイタクヘリオス以前はアイノクレスピン(1974.4.15)が1977年に出した1分33秒5-。コースレコードを15年ぶりに更新する1分33秒3の快時計で連覇を果たしたのは、ビゼンニシキ(1981.4.26)の仔でした。
地味な血統でも、2歳から5歳まで能力の減退無く、常に一線級であり続けたダイタクヘリオス。「気まぐれ」と言われましたが、ことマイル戦に限っては[4-4-0-2]。連対率8割。連を外したのは3歳秋に春からぶっつけで挑んだマイルCS、5歳春に1番人気で挑んだ安田記念(GI)の2レースだけ。また、1600mから1800mでも、[6-5-0-3]の成績です。マイルCS連覇、マイラーズC(GII)連覇、毎日王冠(GII)2年連続連対で2年目は日本レコードとなる1分45秒6での逃げ切り勝ち。2歳冬の阪神3歳S(現阪神JF、GI)2着以降は、ずっとオープンクラス。オープン特別には3回出走しただけで、後は全て重賞に出走。そんな中で残したこの成績。改めて振り返ると、凄みを見せます。ダイタクヘリオス、1990年代初頭を代表する、稀代の名マイラーでした。
歯をむき出しにして、笑いながら駆けていたダイタクヘリオス。その姿は、真の能力、真の適正に気付いてくれない人間に対する、彼なりの反逆だったのかもしれませんね。