ふと、ジャパンカップ(GI)の過去30回について、勝ち馬を中心に辿ってみようと思いました。その6回目は第16回から第18回。
シングスピール 牡 鹿毛 1992.2.25生 愛国・シェイク・モハメド生産 馬主・シェイク・モハメド 英国・M.R.スタウト厩舎
In the Wings 鹿毛 1986.1.17 種付け時活性値:1.25 |
Sadler’s Wells 鹿毛 1981.4.11 |
Northern Dancer 鹿毛 1961.5.27 |
Nearctic 1954.2.11 |
Natalma 1957.3.26 | |||
Fairy Bridge 鹿毛 1975.5.4 |
Bold Reason 1968 | ||
Special 1969.3.28 | |||
ハイホーク 鹿毛 1980.3.17 |
Shirley Heights 鹿毛 1975 |
Mill Reef 1968.2.23 | |
Hardiemma 1969 | |||
Sunbittern 芦毛 1970 |
シーホーク 1963.3.16 | ||
Pantoufle 1964 | |||
Glorious Song 鹿毛 1976.4.22 仔受胎時活性値:1.75 |
Halo 黒鹿毛 1969.2.7 種付け時活性値:1.50 |
Hail to Reason 黒鹿毛 1958.4.18 |
Turn-to 1951 |
Nothirdchance 1948 | |||
Cosmah 鹿毛 1953.4.4 |
★Cosmic Bomb 1944 | ||
Almahmoud 1947 | |||
Ballade 黒鹿毛 1972.3.10 仔受胎時活性値:0.75 |
Herbager 鹿毛 1956 種付け時活性値:1.75 |
Vandale 1943 | |
Flagette 1951 | |||
Miss Swapsco 鹿毛 1965.2.25 仔受胎時活性値:1.50 |
Cohoes 鹿毛 1954.4.9 種付け時活性値:0.50 |
||
Soaring 栗毛 1960.1.27 仔受胎時活性値:1.00 |
<5代血統表内のクロス:Herbager5×3、Hail to Reason5×3、Almahmoud(♀)5×4、Mahmoud5×5(母方)>
父 | 母父 | 祖母父 | 曾祖母父 |
---|---|---|---|
In the Wings (Sadler’s Wells系) |
Halo (Hail to Reason系) |
◆Herbager (Son-in-Law系) |
Cohoes (Blandford系) |
形相の遺伝 | 料の遺伝 | 牝系 | 母の何番仔? |
Herbager (Ballade) |
5.00 |
母が米古馬牝馬王者 (No.12) |
8番仔 (2年連続流産後) |
着 順 |
馬 番 |
馬名 | 性齢 |
斤 量 |
騎手 |
走破 時計 |
着差 |
上り 3F |
馬体重 [前走比] |
調教師 |
人 気 |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
1 | 14 | シングスピール | 牡4 | 57 | L.デットーリ | 2:23.8 | 35.8 |
464 [不明] |
M.スタウト | 4 | |
2 | 4 | ファビラスラフイン | 牝3 | 53 | 松永幹夫 | 2:23.8 | ハナ | 36.0 |
450 [-8] |
長浜博之 | 7 |
3 | 1 | ストラテジックチョイス | 牡5 | 57 | R.クィン | 2:24.0 | 1.1/4 | 36.2 |
544 [不明] |
P.コール | 10 |
3 | 9 | エリシオ | 牡3 | 55 | O.ペリエ | 2:24.0 | 同着 | 36.3 |
490 [不明] |
E.ルルーシュ | 1 |
5 | 10 | アワッド | 牡6 | 57 | C.マッキャロン | 2:24.1 | クビ | 35.8 |
436 [不明] |
D.ドンク | 8 |
1996年の第16回。名手ランフランコ・デットーリの、ジャパンカップ勝ちにおける「ハナ差マジック」が発揮された初めての回でした。あの僅差での競り合いで負けない技術の恐ろしさ。それはもちろん、鞍上に応える鞍下あってのこと。シングスピール。ジャパンカップ前まで10戦連続で連対を果たしており、この年の9月のカナディアン国際S(加GI)でGI初勝利を収めた後、10月のBCターフ(米GI)では同い年のステーブルメイトだったピルサドスキー(1992.4.23)の2着、そうして挑んだのが11月のジャパンカップ。来日直後、シングスピールは輸送熱を出して体調を崩してしまったそうですが、10日後のレース当日には見事に立ち直っていました。
そんなシングスピール、レースは先行6番手あたりから進め、ケヤキ(本当はエノキ)の向こう側あたりから追い出していたにもかかわらず、直線ではその鋭くかき込む走法で脚を伸ばしました。外から順にストラテジックチョイス(1991.3.4)、凱旋門賞(仏GI)馬エリシオ(1993.1.24)、シングスピール、ファビラスラフイン(1993.4.13)の競り合い。直線に入るまでは馬なりで楽な感じだったはずのエリシオ、間を縫って来たシングスピールの迫力に気圧されたのか、ストラテジックチョイスとの3着争いに後退。勝ち負けはと見れば、ハイペースを3番手で進めていた満3歳牝馬ファビラスラフインが恐るべき粘りを見せて、シングスピールに応酬。しかし、最後は牡馬の意地を見せたのか、シングスピール。激しい競り合いでも追いっぷりにまったくブレが見えないデットーリ騎手に促されて、ハナだけ先んじて決勝点に飛び込みました。ゴール後、大きな喜びのアクションを見せたフランキー、馬人一体となった会心の勝利だったのでしょう。併せて、馬主のシェイク・モハメドにとっても、第3回で1番人気に押されながら13着に敗れたハイホークの借りを、ハイホークの血が流れる孫で返せました。
わずかに差されてしまいましたが、ファビラスラフインと松永幹夫騎手の頑張りも見事でした。日本調教の3歳馬によるジャパンカップ連対は初めてのこと。それを牝馬で成し遂げたファビラスラフイン、スピードとスタミナを兼ね備えた名華でした。彼女はお母さんのMercalle(1986.2.12)がフランスの伝統GIである4000mのカドラン賞の勝ち馬であったことから、エリシオは敗れたものの、フランスのプレス担当者さんたちもその走りを喜ばれたとか。
ジャパンカップは、世界の血を日本でちゃんと活かしているということを、証明するためのレースでもあります。
*
ピルサドスキー 牡 鹿毛 1992.4.23生 愛国・バリマコルスタッド生産 馬主・ウェインストック卿 英国・M.R.スタウト厩舎
Polish Precedent 鹿毛 1986.3.16 種付け時活性値:1.25 |
★ Danzig 鹿毛 1977.2.12 |
Northern Dancer 鹿毛 1961.5.27 |
Nearctic 1954.2.11 |
Natalma 1957.3.26 | |||
Pas de Nom 黒鹿毛 1968.1.27 |
★Admiral’s Voyage 1959.3.23 | ||
Petitioner 1952 | |||
Past Example 栗毛 1976.4.23 |
Buckpasser 鹿毛 1963.4.28 |
Tom Fool 1949.3.31 | |
Busanda 1947 | |||
Bold Example 鹿毛 1969.4.28 |
ボールドラッドUSA 1962.4.23 | ||
Lady Be Good 1956.3.9 | |||
Cocotte 鹿毛 1983.2.21 仔受胎時活性値:2.00(0.00) |
Troy 鹿毛 1976.3.25 種付け時活性値:1.50 |
Petingo 鹿毛 1965 |
Petition 1944 |
Alcazar 1957 | |||
La Milo 栗毛 1963 |
Hornbeam 1953 | ||
Pin Prick 1955 | |||
Gay Milly 鹿毛 1977.4.5 仔受胎時活性値:1.25 |
★Mill Reef 鹿毛 1968.2.23 種付け時活性値:0.00 |
Never Bend 1960.3.15 | |
Milan Mill 1962.2.10 | |||
Gaily 黒鹿毛 1971 仔受胎時活性値:1.25 |
Sir Gaylord 鹿毛 1959.2.12 種付け時活性値:0.75 |
||
Spearfish 黒鹿毛 1963.4.27 仔受胎時活性値:1.75 |
<5代血統表内のクロス:Petition5×4>
父 | 母父 | 祖母父 | 曾祖母父 |
---|---|---|---|
Polish Precedent (Danzig系) |
Troy (Fairway系) |
★Mill Reef (Never Bend系) |
Sir Gaylord (Turn-to系) |
形相の遺伝 | 料の遺伝 | 牝系 | 母の何番仔? |
Troy (Cocotte) |
6.25 or 4.25 |
半妹ファインモーション (No.11) |
5番仔 (5連産目) |
着 順 |
馬 番 |
馬名 | 性齢 |
斤 量 |
騎手 |
走破 時計 |
着差 |
上り 3F |
馬体重 [前走比] |
調教師 |
人 気 |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
1 | 3 | ピルサドスキー | 牡5 | 57 | M.キネーン | 2:25.8 | 34.6 |
502 [不明] |
M.スタウト | 3 | |
2 | 9 | エアグルーヴ | 牝4 | 55 | 武豊 | 2:25.8 | クビ | 34.8 |
472 [-6] |
伊藤雄二 | 2 |
3 | 13 | バブルガムフェロー | 牡4 | 57 | 岡部幸雄 | 2:26.0 | 1.1/4 | 34.9 |
490 [+4] |
藤沢和雄 | 1 |
4 | 12 | カイタノ | 牡3 | 55 | A.シュタルケ | 2:26.1 | クビ | 34.7 |
460 [不明] |
B.シュッツ | 6 |
5 | 1 | シルクジャスティス | 牡3 | 55 | 藤田伸二 | 2:26.2 | クビ | 34.6 |
466 [+4] |
大久保正陽 | 4 |
1997年の第17回。レース前から主役は決まっていたようなものでした。下見所で「ぶらーん」と馬っ気を出していたのは、お茶目な重戦車、ピルサドスキー。戦前までバーデン大賞(独GI)、BCターフ(米GI)、エクリプスS(英GI)、愛チャンピオンS(愛GI)、チャンピオンS(英GI)と、欧米の中距離主要GI5勝の実績馬のその姿に、ファンはちょっと、いえだいぶん心配を覚えたのです。
けれど、ピルサドスキー、本番ではサスガの集中力を見せました。レースは中段やや後方に待機し、スローペースの流れの中で内々を徐々に進出。そして直線、エアグルーヴが先に抜け出したところを、内から猛然と襲い掛ったのが、ピルサドスキー。ええ、大和撫子の尻を追ったイングリッシュジェントルマンという構図(^_^;)。472kgのイイ女に迫った502kgの鹿毛馬がクビを低く伸ばし、赤い帽子にウェインストック卿の白い勝負服をまとった鞍上の右ムチに応え、「ダテに種牡馬にはなりません!!」とCX系の中継では堺正幸アナウンサーに叫ばせて、最後は1着でゴールイン。欧米で戦ってきた相手が超一線級ならば、ピルサドスキー自身も超一線級。世界の最前線で戦ってきた馬のプライドが、そこには見えました。そして、この勝利により、前年第16回のシングスピール(1992.2.25)に続き、「Sir」マイケル・スタウト調教師は、調教師として初めてとなるジャパンカップ連覇にして2勝目となりました。
2着に敗れたエアグルーヴ。実はかつて1回だけ、彼女にキネーン騎手が騎乗されたことがありました。1995年の阪神3歳牝馬S(現阪神JF、GI)。ビワハイジ(1993.3.7)の2着となった際の鞍上が、キネーン騎手だったのです。「その1回の騎乗でマイケル・キネーンという騎手はエアグルーヴを知ってしまった。それがあのジャパンカップで仇となった」。なんてことを伊藤雄二調教師のインタビュー記事で見かけたような。馬に携わるプロの凄さを思ったものです。また、血統的な奇縁が巡り、後に伊藤雄二調教師と武豊騎手とのコンビでGIを2勝する、ピルサドスキーの半妹が現れます。ご存知ファインモーション(1999.1.27)。エアグルーヴでピルサドスキーに敗れた人々が、ピルサドスキーの半妹をGI馬に育てる。ピルサドスキーとエアグルーヴを巡り、人も馬も、不思議な因縁があったものです。
ピルサドスキーとファインモーション。私にとっても強烈な印象を残してくれた兄妹でした。しかし、悲しいかな、「世代を重ねる」となった時、兄妹共に、その能力の高さを伝えられなかったのが、ただただ残念なことでした。
*
エルコンドルパサー 牡 黒鹿毛 1995.3.17生 米国・タカシ・ワタナベ氏生産 馬主・渡邊隆氏 美浦・二ノ宮敬宇厩舎
Kingmambo 鹿毛 1990.2.19 種付け時活性値:1.00 |
Mr.Prospector 鹿毛 1970.1.28 |
★Raise a Native 栗毛 1961.4.18 |
Native Dancer 1950.3.27 |
Raise You 1946 | |||
Gold Digger 鹿毛 1962.5.28 |
Nashua 1952.4.14 | ||
Sequence 1946 | |||
Miesque 鹿毛 1984.3.14 |
Nureyev 鹿毛 1977.5.2 |
Northern Dancer 1961.5.27 | |
Special 1969.3.28 ♀ | |||
Pasadoble 鹿毛 1979.4.1 |
Prove Out 1969.3.15 | ||
Santa Quilla 1970 | |||
サドラーズギャル 鹿毛 1989.4.29 仔受胎時活性値:1.25 |
Sadler’s Wells 鹿毛 1981.4.11 種付け時活性値:1.75 |
Northern Dancer 鹿毛 1961.5.27 |
Nearctic 1954.2.11 |
Natalma 1957.3.26 | |||
Fairy Bridge 鹿毛 1975.5.4 |
Bold Reason 1968.4.8 | ||
Special 1969.3.28 ♀ | |||
Glenveagh 鹿毛 1986.3.9 仔受胎時活性値:0.50 |
Seattle Slew 黒鹿毛 1974.2.15 種付け時活性値:0.75 |
Bold Reasoning 1968.4.29 | |
My Charmer 1969.3.25 | |||
Lisadell 鹿毛 1971.4.9 仔受胎時活性値:1.50 |
Forli 栗毛 1963.8.10 種付け時活性値:1.625 |
||
Thong 鹿毛 1964.4.23 ♀ 仔受胎時活性値:1.50 |
<5代血統表内のクロス:Special(♀)=Lisadell(♀)4×4×3、Northern Dancer4×3、Native Dancer4×5>
父 | 母父 | 祖母父 | 曾祖母父 |
---|---|---|---|
Kingmambo (Mr.Prospector系) |
Sadler’s Wells (Northern Dancer系) |
Seattle Slew (Bold Ruler系) |
◆Forli (Hyperion系) |
形相の遺伝 | 料の遺伝 | 牝系 | 何番仔? |
Sadler’s Wells (Fairy Bridge) |
4.75 |
世界的名牝系 (No.5-H) |
2番仔 (2連産目) |
着 順 |
馬 番 |
馬名 | 性齢 |
斤 量 |
騎手 |
走破 時計 |
着差 |
上り 3F |
馬体重 [前走比] |
調教師 |
人 気 |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
1 | 11 | エルコンドルパサー | 牡3 | 55 | 蛯名正義 | 2:25.9 | 35.0 |
472 [+2] |
二ノ宮敬宇 | 3 | |
2 | 1 | エアグルーヴ | 牝5 | 55 | 横山典弘 | 2:26.3 | 2.1/2 | 35.1 |
472 [-6] |
伊藤雄二 | 2 |
3 | 9 | スペシャルウィーク | 牡3 | 55 | 岡部幸雄 | 2:26.4 | 1/2 | 35.3 |
470 [-6] |
白井寿昭 | 1 |
4 | 6 | チーフベアハート | 牡5 | 57 | J.A.サントス | 2:26.7 | 2 | 35.0 |
460 [不明] |
M.R.フロスタッド | 4 |
5 | 5 | マックスジーン | 牝5 | 55 | C.アスムッセン | 2:26.7 | ハナ | 35.0 |
504 [不明] |
T.スキフィントン | 9 |
1998年の第18回。それまでの17回では1番人気から3番人気までに必ず1頭は外国馬が推されていたのです。ところが、この第18回でついに日本馬が上位3番人気までを占めました。そして結果も、日本馬で上位3頭を独占。ジャパンカップ史上初めて外国招待馬が馬券圏内に入れなかったレース。それが第18回ジャパンカップでした。
そんなレースの勝ち馬は、エルコンドルパサー。今となっては笑い種ですが、当時のエルコンドルパサーには「距離不安」を叫ぶ声もありました。まま、仕方がないですよね。それまでのレース経験は1800mまでで、2400mは初めてでしたから。しかし、いざレースになったら、まぁ、強いこと(^_^;)。先行3番手から抜群の手応えで直線に向き、おいでおいでで追い出しに掛かると、ゴールした時にはエアグルーヴ(1993.4.6)に2と2分の1馬身差を着けていました。「誰や、距離不安なんて言ったのは」。世界的名牝系の多重クロス馬、思えば母父Sadler’s Wells-中島理論的には最優性先祖-。絶対能力の違いをまざまざと見せた結果が、史上初の日本調教の3歳馬によるジャパンカップ制覇、そして当時の史上最大着差による勝利でした。
2年連続で2着に敗れたエアグルーヴ。それでも、2歳年下の日本ダービー(GI)馬に先着を許さなかったのは最強古馬牝馬の威厳だったのでしょう。2011年現在はブエナビスタ(2006.3.14)、ほんの少し前ならばウオッカ(2004.4.4)、ダイワスカーレット(2004.5.13)と牡馬を牛耳る強さを持った牝馬も珍しくない時代です。けれど、本当はこの20世紀末のジャパンカップにおいて、いまの時代の予見がされていたのかも知れません。振り返れば、
- 第15回ジャパンカップ → 2着ヒシアマゾン
- 第16回ジャパンカップ → 2着ファビラスラフイン
- 第17回ジャパンカップ → 2着エアグルーヴ
- 第18回ジャパンカップ → 2着エアグルーヴ
と、4年連続で日本調教の牝馬が連対を果たしていたのです。女傑ヒシアマゾン(1991.3.26)、芦毛の快速馬ファビラスラフイン(1993.4.13)、そして女帝エアグルーヴ。1990年代中盤から後半にかけて現れた強い牝馬たちの走り、今もなお、脳裏をよぎります。
では、以上オオハシでした。これから走る馬、人すべてが無事でありますように。