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2005年9月 7日 (水)

「朝日チャレンジカップ(GIII)」と聞くと、どうしてもマイシンザン(1990.3.7)を思う。

前年(1994年)の天皇賞・秋(GI)以来、11ヶ月ぶりのレースでした。阪神大震災の影響による京都の代替開催。私は淀まで出掛けるか否か、迷ったんですね。で、迷った挙句、自宅でTV中継を見ていました。パドックからいやにおとなしいマイシンザン。「おお、どないしたん。もっと暴れまくるんちゃうんかいな」と、かえって心配になりました。4番人気で挑んだレースは中段7番手から徐々に進出。3角から4角、久々が響いているのか、おっつけおっつけ、外から進出。そして直線。4代母に同じヤシマテンプル(1947.5.22)を持つスプリングバンブー(1990.5.26)との叩き合いを制して、上がり3ハロン34秒3の鬼脚で、見事に重賞2勝目を遂げました。大泣きしましたね(苦笑)。「なぜ応援に行かなかったのか」と、後になって思いました。

3歳初頭以降の戦績は、今でもパッと思い出せます。祖父の名前が付けられたシンザン記念(GIII)。新馬戦10馬身差勝ちが認められて2番人気で挑んだレースは、13着ドンジリ負けでした。「そんなはずはない」と巻き返しを狙った飛梅賞はダートが合わなかったのか1番人気6着。そして「ここでダメだったら気性的な問題。去勢も辞さない」と飛梅賞から連闘で挑んだこぶし賞。京都の内回り芝1600m、3角から4角、強引に進出してそのまま押し切りました。4番人気1着。勝ち時計1分34秒9は当時の淀芝1600m内回りの3歳レコードタイムでした。ひと叩きして挑むはずだった皐月賞(GI)は、ザ石の為にこぶし賞からブッツケ。13番人気9着でしたが、上がり3ハロンで繰り出した末脚35秒2は、勝ち馬ナリタタイシン(1990.6.10)の34秒6に次いで、出走18頭中2番目に速いものでした。そして、日本ダービー(GI)出走をかけて挑んだNHK杯(旧GII)。「2段ロケットのようですね!!」とNHKのTV中継の解説をされていた伊藤正徳調教師に言わしめた、35秒0の末脚。2着のガレオン(1990.4.25)に3馬身半差を付けての快勝。4番人気1着。勝ち時計2分0秒7はレースレコードタイムでした。また、このNHK杯は、山本正司調教師と松永幹夫騎手の師弟コンビによる、初めての重賞制覇でもありました。そうして、勇躍挑んだ日本ダービー。テン乗りとなった田原成貴騎手が自信を持って先行策を取られましたが、3強とガレオンにわずかに及ばず4番人気5着でした。

その後は、屈腱炎との戦いでしたね。3歳秋。ウイニングチケット(1990.3.21)との対決が楽しみなはずだった京都新聞杯(GII)。屈腱炎発症のニュースをスポーツ新聞で見た時は魂が抜けそうになってしまいました。4歳秋。日本ダービー以来、約1年4ヶ月ぶりの出走となった毎日王冠(GII)。ひっかかりまくり、サクラバクシンオー(1989.4.14)の尻を突っつく形となったレース。1000m通過が57秒5。それは速すぎるやろう(笑)。それでも、勝ち馬のネーハイシーザー(1990.4.27)の日本レコード1分44秒6から0秒6差でまとめたのですから、大したものです。7番人気7着。ひと叩きの効果を見込まれた天皇賞・秋(GI)。父仔3代制覇を期待されましたが、道中の不利もあり、5番人気11着。その後にまたもや屈腱炎発症。そして、5歳秋の復帰戦が、朝日チャレンジカップでした。

5歳秋、朝日チャレンジカップの後。賞金加算を狙った毎日王冠は雨にたたられて3番人気5着。再度父仔3代制覇を狙った天皇賞・秋。ナイスネイチャ(1988.4.16)の回避により運良く滑り込んだ出走枠。前売りの段階では1番人気に押されていました。けれど……。天皇賞前日の土曜日。忘れもしませんよ、スワンS(GII)の発走直前。KBS京都のTV中継を見ていた私に、宮本英樹アナが厳しい口調で伝えてくださいました。「2枠3番のマイシンザンが左前脚の屈腱炎を発症」。「2枠」と聞いた後、「3番とは言わんといて」と願いました。しかし、その思いは、残念ながら届かず。夢破れた瞬間でした。

今のところ、私が最も愛した馬であるマイシンザン。そんな彼に対して、山本調教師が与えられた評価を持って、今日のlogを終了とします。

山本 ゼネラリストがこれからどういう競馬をしてくれるか分からないし、ハッピープログレスもいましたけど、こと潜在能力ということならマイシンザンがいちばんだと思いますね。

-月刊『優駿』、1996年3月号P71、『杉本清の競馬談義』より抜粋。-

#追記。マイシンザンの引き取られ先:EQUINE-HOLIC(ワイルドブラスターも一緒に引き取られています)。

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コメント

コンニチワ、いつもお世話になっております^^
マイシンザン、秋の天皇賞では迷わず本命に考えていたのですが、本当に残念な直前リタイアでした。
今改めて戦歴を振り返ってみると、この馬、条件戦には2回しか出走してないんですよね。参考外のダート1800と、芝のマイルのこぶし賞。両方ともに500万下で、今で言う1000万下と1600万下は出走歴がない。
これは本当にエリートの戦歴で、無事ならもっと活躍してシンザンのサイアーラインを継承してくれたかもしれなかっただけに、本当に残念でしたね。

ところでいつも2歳馬レビューありがとうございます。いつも拝見してます。とても参考になります^^

投稿: blandford | 2005年9月 8日 (木) 13時05分

◎blandford様
暑苦しいlogにレス付けて頂き、感謝感激雨あられです。

>シンザンのサイアーライン
マイシンザン、実は今年の2歳馬にマイティシンザン(2003.3.29)という最後の直仔がいるんですね。浦和競馬の所属馬です。そんなマイティシンザンの5代血統表。Ped Netに登録したのは、何を隠そうこの私です(笑)。何とか、父系をつなげてほしいものです。まま、実はマイシンザン自身も牡馬(未だ去勢されておらず!)ですから、マイティシンザン次第では、「ステートジャガーの再来」も無きにしもあらずです。

以上でございまーす。

投稿: かろむわん | 2005年9月 8日 (木) 22時36分

こんにちは。マイシンザン、私もNHK杯のレースは強烈な印象として残っています。たしかに二段ロケットのようでしたし、祖父シンザンが評された「ナタの切れ味」とはまさにこういうことをいうのではないのかと思ったりもしました。あの世代はレベルが高かったですし、特にクラシックロードの密度は素晴らしいものでしたね。ガレオンともども、脚元の不安に泣かされたのが惜しまれます。

投稿: 鈴木M | 2005年9月 9日 (金) 10時11分

◎鈴木M様
おお、わざわざのコメントありがとうございます。

>NHK杯
直線でガレオンに外から並びかけ、一瞬脚色が同じになったかと思わせたところで、ガツンともうひと伸び。あとは3馬身半差。まさに「ナタの切れ味」でした。

このNHK杯では父ミホシンザンの鞍上だった柴田政人騎手がマキノトウショウに騎乗されていて、マイシンザンの勝ちっぷりを見て「久しぶりにお父さんを思い出したよ」と仰ったそうです。

>あの世代はレベルが高かった
ビワハヤヒデ、ウイニングチケット、ナリタタイシンの3強はもちろん、牝馬もベガ、ホクトベガ、ノースフライトと役者揃いです。他にもサクラチトセオー、ネーハイシーザー、ステージチャンプ、トーヨーリファール、マイヨジョンヌなどなど。皐月賞はレースレコード、日本ダービーは史上2位のタイム、菊花賞はレースレコード(いずれも当時)。時計がすべてではありませんが、走る馬たちの能力が高ければ、おのずと走破時計は速くなるものですね。

>ガレオン
シャダイアイバーの仔、無事に3歳秋を迎えられればと思わせた逸材でした。皐月賞3着入線時の脚は際立っていましたし、ダービーで5着馬をクビ差退けた根性も大したものでした。藤沢和雄厩舎で直仔ガレアスが頑張っていた時は「何とか走って」と祈っていたものです。

以上でございまーす。

投稿: かろむわん | 2005年9月 9日 (金) 19時49分

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